【中華料理】
僕は前に話したように6人兄弟なんだけど、上の二人と下の四人は父親が違う。
その件はちょっと置いといて、一番上が長女で次が長男なんだけど、僕らが離婚して大阪の親戚の家に居候して、新しい生活は始まったんだけど・・
その時僕は小学校の5年生だったんだけど、その小学校に転校してきた時は、僕は「遠藤」と言う苗字だったんだけど、つまり「大隈」と言うのは母親方の苗字。
それから数か月して、離婚が成立して苗字が「大隈」に変わったんだけど、その時母親が授業中に僕の担任に会いに来た。
しばらく外で話していたんだけど、それから・・・・
クラスのみんなに、「今日から遠藤君は大隈君に変わります・・・」と言った。
その時、子供だった僕はとても恥ずかしい思いをした。
で、少し話は変わるけど、僕自身が離婚したとき、息子が二人いたんだけど、嫁さんとの話し合いで「親権」は嫁さんに渡すけど、子供の苗字は本人たちが大人になって「自分の意思」で、苗字を変えると言い出すまでは、「大隈」で通すように・・・
と、条件を付けたんだけど、嫁さんは前にも言ったように、自分の実家を継ぎたかったわけだから、自分だけは離婚後すぐに苗字を「飯倉」に戻した。
でも、同じ飯倉の実家で子供たちを育てたけど、子供たちの苗字は「大隈」のまま残していた。
つまり、僕が子供のころに味わった恥ずかしさを子供には味わいさせたくなかったから・・・
話を戻すと、前に言ったように、母親は体が弱く、あまり働かなかったから、結局上の二人が働いて僕らを支えていたんだけど、長男は京都の有名な「中華料理店」に住み込みで入った。
料理の世界は「まかない」付きだから、自分の食費は要らないわけ・・・
その京都のその店には、京都には「太秦」と言う撮影所があり、「映画スター」がよく来ていたらしい・・・
で、兄は次にその店を辞めて、大阪の「北京飯店」と言う北京料理の店に入ったらしい・・・
そのころ兄が言っていたんだけど、最初の京都の中華料理店って、はっきり言ってまともな北京料理とは言えなかったレベルらしい・・・
それから兄は何軒かの料理店を渡り歩いたが、どうも中国人のコック長に特別に目を掛けられたり、コック長が中国に還るときに一緒に来ないかと誘われたりしたみたい・・・
それからまたいくつか店を変わり、最後に「西宮」の「萬壽亭」と言う店の「雇われコック長」になったんだけど、僕の結婚式の披露宴はその店でやった。
それからしばらくして、兄はその店を買い取り「オーナーシェフ」となった。
兄弟想いの兄は、よく家でも中華料理を作ってくれたり、正月のおせち料理には中華料理の折りを持って帰ってきて食べさせてくれた。
そんなわけで僕は中華料理は大好きなんだけど・・・
どうも話を聞くと「北京料理」とか「四川料理」とか「広東料理」とかの違いがあるらしく、高校生のころ、僕も夕方から「広東料理店」の皿洗いをしたことがある。
で、客が食べた皿が返ってきて、僕が皿洗いをするんだけど・・・
料理が結構残っていたんよね・・・
僕はそれをつまみ食いしたんだけど、僕から見ればおいしいと思ったんだけど・・・
後から兄に聞くと「広東料理は日本人の口に合わない・・・」とのことだった。
で、兄がオーナーシェフになった「萬壽亭」は、西宮は結構生活レベルの高い街で、近くに「芦屋」なんかもあるけど、その店、結構地元では「高級料理店」として有名だったんだけど、「3.11」の大震災で周りのビルがずいぶん倒れたんだけど、その店の入っているビルの被害は少なかった・・・
だけど・・・
結局震災の影響で、客足が極端に減り、兄も「脳梗塞」で倒れ、店を閉じ、今では嫁さんの実家の鳥取県で暮らしている。
確かに兄は兄弟想いで、僕ら兄弟の面倒を見てくれるんだけど、やはり僕とは考え方が合わないね・・・
僕が写真の世界であまり食えていなかったから、「写真なんかやめて、俺がラーメン屋を出してやるから、ラーメンでも作れ」とずいぶん言われたなぁ・・・
くまさん