2007年6月
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蓮如上人
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昨夜NHKテレビの「その時歴史が動いた」で「蓮如」を取り上げていた。
今年、その中でも話の中心になっていた「福井県・吉崎」の吉崎別院から「伝・蓮如上人御真筆」とされる掛け軸2副の復元の依頼があった。
なんとなく、「蓮如上人」って歴史上の人物であることは判っていたものの、具体的な人物像と言うか、功績などはほとんど記憶に無かった。
そんな中、2副とも真っ黒になっていて、なんとなく書かれている文字は読める様では有るが、さりとてその文字だけ判読するのは、宗教関係者ならともかく、一般人には難しい状態であった。


何度も書いているのだが、「赤外線撮影」は、「墨文字」には有効なことが多い。
さりとて、一目瞭然とは程遠い結果に終わることも多い。
特に遺跡から発掘された「木簡」は土中にあり、水分を含んでいることが多い。
すると、木簡の表面に書かれた墨の成分は、木の繊維の内部へと浸透していくことが多い。
つまり、表面上の墨文字は内部へと進んで行き、表面上も文字は見えなくなることが多い。
でも、墨の「炭素」は無くなった訳ではない。
そして、「赤外線は薄いものは透過する」という性質がある。
だから、盗撮などで服が透けて見えたりする。
って、何も盗撮の薦めの話ではなく、木の内部の墨文字を赤外線は結果として映し出すことが多い。
しかも、肉眼では木簡は茶色だから、モノクロに置き換えても割りと「濃い色(トーン)」に見えるが、赤外線域では、それに比べると白っぽく写ることが多い。
するとも結果として赤外線域の画像では、木簡が薄く写り、見えない墨文字は黒色として写るわけだから、木簡に書かれた墨文字は、割とくっきりと見えることになる。
ところが、同じ墨文字でも絵馬などになると話が変わってくる。
境内に掲げられ、風雨に晒された絵馬は、絵の具も墨も剥げ落ちてしまったものが多い。
「剥げ落ちる」ということは、「中に浸透する」と言うことの相反する結果であり、表面上で確認できない墨文字などは、赤外線写真でも写らないことが多い。
しかも、風雨に晒されたものは表面も汚れて黒ずんでいることが多く、汚れなどは赤外線でも黒っぽく写ることが多い。
すると結果として、木簡とは正反対に、木部は黒く写り、墨文字もはっきりとした筆跡は写らないわけだから、あまり赤外線撮影の効果は出ないことになる。
20070621-color
20070621-fukugen
で、今度は掛け軸などの墨で描かれたものは・・・・
一般家屋の「床の間」に掛けてあったものは、表面上にシミなどがあったとしても、シミは赤外線域ではあまり写らないし、消えかけている墨線などは表面上の炭素が残っていれば、割とくっきり写ることがある。
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ところが、今回の「伝・蓮如上人御真筆」や「氏貞公御尊影」などの、「お寺所蔵」の掛け軸となると話が変わってくる。
つまり、灯明の「油煙」やロウソクの「スス」が長い年月の間に、表面について黒ずんでいるものは赤外線撮影の効果が薄い。
これは、墨の成分も油煙やススの成分も同じ「炭素」であり、墨文字は黒く写ったとしても、掛け軸の紙や絹本も黒く写ることが原因となる。
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そんな中で、今回の蓮如上人の掛け軸は表面も真っ黒と言うより、濃いこげ茶色であり、赤外線撮影でも「一目瞭然」とは行かなかった。
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特に、蓮如上人の筆の特徴は、勢いのある筆跡で墨の「濃淡」と「かすれ」が特徴であるらしく、文字だけ切り抜くと黒一色になってしまい、不自然になる。
そんな中で、今回は原寸大のレプリカを作ったとしても、十分濃淡とかすれが再現できるように努力をした。
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ただ、今回「紙の色」について、復元後に専門家の意見を聞くと、蓮如上人の時代は「和紙」ではなく「唐紙」を使っていたことが多く、紙だから「白色」と言う先入観が通用しないとの事。
つまり、もともとある程度「茶色い紙」で有ったとの事だった。

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