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雪舟の龍
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【雪舟の龍】

僕の「不思議体験」をYouTubeに「動画」として、いくつも上げているんだけど・・・・

その中の一つ

雪舟の龍

 

に、僕自身がナレーションをしているだけど、そのナレーションを「文字起こし」したものがこれ!!

この仕事は主にインターネットを使って営業活動を行っており、依頼は当社のホームページ上からの問い合わせであるが、逆にこちらから全国の社寺に数百通の資料を送っても、ほとんど反応がない。

ただ全国の社寺は実際には桁違いの数なので、やはりネットを使ってのPRの必要性を感じており、スタッフにFacebookの活用を検討させていた。

しかしある時急に思い立ち私は自分でプロフィールを登録した。

そしてメンバーの中から、多くの宗教関係者「友達申請」を行った。

Facebookに登録したのは2011年の10月21日なのだが、それからちょうど10日ほどして、Facebookを通して初めての仕事が入った。

広島にあるお寺に伝わる「伝雪舟」の掛け軸であった。

住職の話では寺の創建時に、領主から賜ったものだと伝わっているという。

それは「龍図」であったが、調べてみると雪舟の残された作品の中に、ほとんど龍図はなく、ネットで調べると東京芸大が一つ所有しているという。

復元依頼の龍図はずいぶんと傷んでいた。

今回復元に当たり、もし雪舟作の龍図だとすると、とんでもない値打ちものになり、扱いは慎重を期して、撮影は「大日本スクリーン」の文化財用に開発された、「大型スキャナー」で撮影した。

ただ・・・

解像度が期待したほどではなく、「実質400DPI」を切っていた。

データをモニターで確認すると、龍図はネズミにかじられ、何度も修復されているようで、実質面積の半分ぐらいしか当時のものは残っていない。

どうも住職は雪舟の専門家に、掛け軸を見せたことがあるらしく、真贋を仰いだが、その専門家は直接それには触れず、「紙」は当時のものと思われるという言い方にとどめたようである。

それを「雪舟作」と言い切ると、専門家としても下手をすると自分の進退に関わるので、断定は避けられたようである。

実は雪舟作と伝えられる龍図は、戦前の売り買いの記録写真を見ると、ずいぶんあるのだが、そのいずれも現在の画集には乗っていない。

しかし面白いことに、今回の掛け軸と同じ構図の龍図が、その古い資料には複数
乗っている。

言い換えると、確かに雪舟はその構図の龍図を書いたと思われるが、そのいずれも現在は「贋作」とされ、本物は失われたかあるいは今回の掛け軸ではないかと思われる。

それらを比較してみれば、今回のものとその質の違いがわかる。

ただ私も若い頃に絵描きを目指したことがあるが、水墨画や日本画の経験はなく、いろいろと雪舟について調べるために、Amazonで「資料」を検索しいくつかの本を買った。

で、実はその時「雪舟の龍」という本があることがわかり、まさにピッタリと思い購入したのだが、古本が何冊も出品されており、なんと「1円」となっていたが、届いてみるとほとんど新品状態だった。

他の資料にも目を通したのだが、それらは
画集や解説書の類なのだが、その「雪舟の龍」を読み始めると・・・・

どうもその手の本ではない、つまり「小説」だったのだが、そのストーリーとしては、一人の売れない絵描きで美術評論家でもある主人公が、ひょんなことから「雪舟作」と思われる龍図と関わり、それが本物であるということを「証明」しようとする話なのだが、やたらと雪舟のことや水墨画の技術について「講談士、見てきたような嘘を言い」というが、ただの物書きにしては水墨画の技術について、とても詳しく書かれている。

それが作り話とも思えず、その作家についてネットで調べた。

作者の名前は「林芳文」とあった。

彼の記録はほとんどなく、検索に引っかからないのだが、どうも彼自身も自ら「水墨画」の作品を描き、そして「美術評論」を手がけていた。

まさに「劇中劇」のように、小説の主人公と作者がダブっているのだが、ただ少し腑に落ちないところもある。

水墨画の技術に関しては納得できるのだが、しかし彼は「現代美術」の
評論を「美術手帳」に書かれていた。

その彼が専門家以上に「雪舟の生い立ち」や
「芸術性」について、詳しいのだが、おかしなことに彼は「在日の人」のようである。

歳は私より10歳ほど上のようであるが、その年代の在日の人だとすると、「差別意識」が強く、とても日本文化の代表的存在である「雪舟」に興味を持つだろうか??

彼は小説は実はこれが「処女作」であり、「遺作」でもある。

評論としてはなかなか雪舟について掘り下げてあるが、正直言って小説としては
面白くない。

ただ私が不思議な縁を感じるのはその小説の終わり方である。

この小説は2000年に出版されたものであるが、主人公の絵描きであり評論家である彼が、雪舟の専門家でもないのにそれを「本物」だとして、世に問う方法として「パソコン」を使い、「画像を比較」しながら、それが本物であるということを証明しようとする場面で、物語は終わっている。

私もデジタルと関わり出しMacを使い画像処理を始めた。

パワーマックが発売されたのが1994年で、私は確か翌年に購入し、「画像処理」を「試行錯誤」で学んだ。

つまりパソコンで画像が扱えるようになって、まだ間がない時期に、この小説は書かれている。

私は2000年に近くの神社の鳳凰図の画像修正を行った。

ちょうど私が「画像による文化財復元」を始めた年に、この「雪舟の龍」は出版された。

その小説に、「龍図が本物であること」を、パソコンの「画像」を使って「証明」しようとしているのだが、出版の年に私はこの仕事を始め、そして現在この「雪舟の龍図」が本物であることを、「画像による文化財復元」という技術で、
「画像として証明」しようとしている。

雪舟作の龍図も、ほとんど世に出ていないのに、2000年にそれを題材とした小説を書いた彼と、同じ年に復元を始め、現在同じく「龍図」を本物として、同じく
「画像」として世に出そうとしているわけだが、「林芳文氏」自身が何か龍図の存在を、確信していたように思えてならない。

がしかし、残念ながら彼は亡くなっているようである。

詳細はわからないが、2002年に東京のギャラリーで、彼の
「追悼展」があったらしい・・・・

これって綾は「偶然」だと思うか?

どう考えてもできすぎているよね??

 

こういうのを、ユンクは「シンクロニシティ」と呼んだんだけど、日本語で言うと「同時性」と言われているんだけど、別の言い方で「意味のある偶然」ともいうけど、これってホントは「偶然」ではなく「必然」と言うことなんよ!!

くまさん

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