綾はまだ39歳だよね・・・
前にも書いたけど、中学性のころから、「哲学書」や「名言集」などに興味があった、ちょっと変わっているけど・・・
その「名言集」の中に、アメリカのリンカーン大統領の有名な言葉があった。
「男は四十を過ぎると、顔に責任がある」
この意味、解かるか??
子供だった僕は「顔は親からの遺伝・・・」「本人に責任などない!!」と思った。
大人になり、そして47歳の時に離婚した。
それから数人の女性と付き合ったんだけど・・・
あるとき、風呂上りに鏡に映る「自分の顔」が、変わり始めていることに気が付いた。
それからかなぁ・・・
僕は「被写体」として、「客観的に」自分の顔を撮り始めた。
おかしいよね??
顔は親の遺伝だから、変わるはずがない・・・
なのに、歳とともに変わってきた。
これって、なんでだろう・・・・
リンカーンが言った「四十を過ぎると、顔に責任がある」と言うのは、持って生まれた「美貌」と言うのは、歳とともに衰えていく・・・
これって、僕がやっている「復元」と同じなんよ・・・
形あるものは、いずれ朽ちて「土」へと還る。
確かに美貌は中年になると、衰え始めるけど、それに代わって「人生で学んだ事」が、実は「外身」に現れ始める・・・
人は生まれたままで、死んでいくわけじゃないよね?
必ず、親や周りの人々や教育環境や社会人としての環境など、あり取らゆるものから「影響」を受ける。
ただ・・・
それらから単に流されて「受け身」として人生を送った人と、それらから「自ら取捨選択」して、人生を送った人では「四十」を過ぎると「顔」に差が出てくる。
だから「責任がある」と、リンカーンは言った!!
これってなにも男に限ったことじゃないんよ・・・
女だって同じ!!
出会い系の自己紹介のところに、よく見かけるのが「歳よりも若く見られます」と書いている人がとても多い。
これって何が問題なのか?
まず「自己紹介」って「自分」が自分を他人に紹介するものなのに、「見られます」と言っていること。
じゃ、「だれ」がそう言っているのか??
他人が自分に対して「お世辞」を言っていることを真に受けているけど、実は「自分自身」の事って知らない人が多く、よく「他人は、自分のことを解かってくれない」とよく言うんだけどこれって実は間違いで、一番知っているのは「周りの人」なんよ・・・
つまり「客観的」に他人は見ているけど、自分は自分を「主観的」にしか見れない人が大半だということ。
そういう人は「若く見られる」と言う言葉を好むが、ホントに賢い人は「年相応」と言う言い方をする。
それだけ、「美貌」を売り物にするんじゃなく、「学んだこと」を自分の売りにできるわけ・・・・
綾はその歳で、僕が人生で学んできたことの価値に興味を示した。
僕が同じ年増ころ、そんなことなど考えたこともなかった。
それを考えると・・・
今、維持している「美貌」はとても美人だけど、そのはいずれ、文化財と同じで朽ち始める・・・
その時、貴女が何を学んできたか??
それが「外身」に現れる。
人の価値はそれからなんよ・・・
僕は前に行ったと思うけど、僕は「情が深い」そして「お節介」なところがある。
お節介と言うのは、相手に対して単に応えるだけじゃなく、「それ以上に」「相手のためになること」を伝えたりする。
だから貴女にこれだけ時間をかけて、いろいろと僕が得たものを伝えているけど、これって見返りを求めたり、君に気に入られようとしているからでもない・・・・
39歳の綾が、仮にこのまま僕が得たものをちゃんと、「九州」いゃ「吸収」できたとしたら・・・・
僕の何倍もの知恵者になれるんよ・・・
くまさん