私は子供のころからずいぶんとへそ曲がりである。
一般的なものの考え方と、違う考え方をすることに喜びというか、優越感を持っていた。
だから、物事を違う角度から考えることが多く、多くの人とは答えを異にすることが多い。
だから「文化財の価値は中身にある」と、一般常識と違う事をいう。
私は自問自答を繰り返す。
「文化とは?」・「文化財とは?」と自らに問うのだが、その時に専門書を読み知識を得ているわけでもない。
そんな調子だから、その場で答えが出るわけがない。
でもいつの間にか自分の中には、ちゃんと答えが出来ている。
つまり、自らの潜在意識が答えを返してくれるようであり、物質界の私より随分と物知りで思考レベルも高いらしい。
そんな潜在意識は、文化財の価値は中身だと返してきたし、文化とは「人の精神的な営み」であり、文化財とは「それを形に記録したもの」と実にシンプルに答えてくれた。
私は随分と不思議な体験を多くしている。
そして「目に見えない不思議な力」の存在を否定できない自分がいる。
しかし私は無信心だとずっと言ってきた。
それはその目に見えない不思議な力は、宗教の枠を超えたものと理解していたからであるが、最近いろんなことを経験し、どうも宗教とその目に見えない不思議な力は、同じ「宇宙」を意味するものだということに気が付いた。
で、最近いくつもの本を読んだのだが、その宇宙には一つの法則があるという。
それは「引き寄せの法則」と呼ぶらしい。
数年前なら、ばかばかしいと相手にしないのだが、今は少し違う。
この法則、ずいぶんと都合の良い話だと思う反面、逆に確かにあり得るとも思える。
つまり自分の行いは、自分に返るという、昔からの教えにも当てはまるところがある。
すると、私はヘンコツだから、人の話によく異を唱え、反論したり、場合によると自分の考えが正しいと思えば、相手を批判したりする。
素直な性格の人は、人の話を素直に聞き、素直に受け取る。
つまり逆らわない・・・
私は物事に逆らうことに一種の優越感を覚える。
でも、引き寄せの法則に従えば、素直な人には素直に宇宙が返してくれ、逆らう者には、宇宙も逆らうという結果になる。
そうすると、自分の望みはいつまでたっても実現できないことを意味し、努力など何の意味もないこととなる。
それを最近、つくづくと感じることが多く、私が宇宙の法則に逆らっている結果が、自分に返ってきているという結論となる。
よく、人は四十を過ぎると変わりようがないという。
つまり思考が凝り固まって、変えられない人が多いらしい。
しかしながら、ここでも逆らうのだが、人は人生から多くを学ぶ。
学べば学ぶほど、思考の幅は広がるはず、そして深くなるはず。
それが持論であるので、私も還暦となった今、思考回路の据替を試みようと思う。
(資)文化財復元センター おおくま
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