わが社はこの技術を広めるために、後継者育成に力を入れている。
こんな募集なのだが、記されているように「無給」なのである。
いまどきこんなものを出すこと自体、はばかられる世の中だろうが、これを「学芸員就職課」という文化財に興味のある人々の求人サイトにも出している。
今から7~8年前、うちのHPの求人を誰かがそのサイトに転載したらしく、それを見た多くの人が応募してきた。
「学芸員」という資格は毎年数万人が習得するらしいが、聞く話では実際に学芸員として就職できるのは、年間100人もいればいいほうらしい・・・
文化財に興味を示す若者は、全体的にまじめであり、女性が多い。
その当時、50人ほどの人が応募してきた、無給であるにもかかわらず。
つまり、それだけ仕事がないのが実情なのだが、そのうちの半分は九州や青森あたりからも実際に面接に来た。
どこの企業も、面接に30分もかければ多いほうだと思うが、うちは丸1日でもかけることは稀じゃない。
私は今年の5月の3日に、還暦になるらしい・・・
私は高校を卒業し、当時は絵描きになりたくて、昼間は天王寺の美術館下の研究所でデッサンをして、夜働いていたことがある。
最初は自分で見つけてきたピザ屋に勤めたが、すぐに喧嘩をしてやめた。
そして知り合いの新地の小料理屋の女将の紹介で、ホテルのフランス料理店の面接に行った。
支配人曰く「最初はホールで3年」「次に洗い場でまた3年」「それから包丁を握らせる」と・・・・
私は当時も努力家だと自認していたので、なぜそんなに「無駄な時間」を使うのか?不満に思い、結局は就職しなかった。
だいいち、「時代遅れ」だと感じた。
それから10年以上の月日が流れた。
絵描きになる夢は挫折し、「写真」を職業としていたが、アルバイトをよく募集した。
自分が人を育てなければならなくなったとき、初めて「徒弟制度」の素晴らしさがわかった。
私の世代は高度成長期であり、大工なども建売住宅のために「即席」で育てられた世代である。
電気ノコ・電気カンナを使うことで、伝統的な職人の技は要らない。
私は徒弟制度は古いと思い、体験していないにもかかわらず、その良さに気が付いた。
しかし、多くの同世代の人々は、自分が今度は人を育てなければならなくなったとき、人を育てられない。
「人を育てる」ということと「技術者を育てる」ということは、意味が全く違う。
昔の「徒弟制度」は人を育てられたが、今の企業の研修は多くの場合「技術」に重点が置かれている。
たとえば私が若いころに受けた、ホテルのレストランで言われたことは、実は決して無駄に時間を過ごすことではなかった。コックは厨房にいる関係で客がどんな顔をして食べているのかわからない。
客の反応はホールの人間ならすぐわかる。
そして洗い場は、客が何を残したか?
それが確認できる。
それからコックとして料理にかかわるということは、実に理に叶っている。
人を育てられれば、技術などいちいち教えなくても身に付く。
職人の世界で最初に学ばなければならないのは、何よりも「辛抱」という言葉である。
僕自身、最初のピザハウスは辛抱できずに、喧嘩をしてやめている。
何をするにしても、辛抱できなければ続かない。
続かなければ、どこで何をしてもまた同じことを繰り返し、いつまでたっても一人前になれない。
私はそんな話をいつも面接に来たものに話す。
こんな話、学校では一切聞いたことがない話であろう。
意味が解かるもの、あるいは「徒弟制度」という死語を全く理解できないもの、さまざまであるが、理解できたとしても頭で理解したに過ぎない。
徒弟制度で、生意気に理屈ばかりこねる見習いを、親方は「半人前のくせに、一人前の口を叩くな!!」と叱る。
いまどき、この言葉も死語だし、第一教育者は反発するだろう・・・
だけど、そんな教育者が今の若者をダメにした。
辛抱とは、まずそこから始まる。
職人は腕が命。
腕もないのに理屈ばかりこねる奴は、半人前でしかない。
職人は口じゃなく、実際に仕事でものを言え。
そこでじっと我慢できたものだけが、一人前に育つ。
それが「人を育てる」ということだと思う。
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