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私はパソコン通信の時代から、ネットの世界に身をおいてきたが、いまだに「バーチャ ル」と言う言葉が好きになれない。
顔が見えない、素性が知れない、匿名でのや り取り、実在しない、別人格、変身願望・・・上げればきりが無いデメリットの数々 。
それらの危険性から、「身」を守ることの必要性。
もちろん判らないわけ ではない。
一番の防御策は、「近寄らないこと」の一言に尽きる。
しかし、人間は勝手なもので、自分に不利なことは受け入れたくないが、自分に都合 のいいことなら欲しがる。
いゃ、都合のいいことだけ求める。
人は経験から 多くを学ぶ。
しかし、それも自分の受け取り方を間違えると、誤った認識を持つ 。
世の中は、メリットとデメリットが混在し、メリットだけを寄せ集めることは 出来ず、それらすべてを含んだ中で、己がそれをどう判断し、どう受け取るか?
それは、己の問題でしかなく、また何がメリットで、何がデメリットなのかも、自分 の受け取り方で変わる。
何故、バーチャルの世界は危ないのだろうか?
いゃ、話を絞って、「バーチャルな出会い」について言えば、よく女性のプロフ ィールに、既婚者が嘘をついてメールを入れてくるとある。
だから「嘘をつかな い人」を求める。しかし、かく言う本人は、年齢を偽っていたりする。
この話を女性 にすると、それは「かわいい嘘」だと言う。
嘘に、かわいいも、かわいくな いもあるのだろうか・・・
最近は少し減ったが、プロフィールに相手に求め るものを連ねる人がいる。
嘘を言わない・思いやりがある・信頼・誠意・癒し・ 器が広い・甘えたい等、書かねば損とばかりに多くを並べる。
もちろん、それらが相 手にあれば、自分には都合がいい。
これは女性に言わせると、男も同じだと言う 。
あるメルトモとのやり取りの中で、「人は自分にあるものは、相手に求め ない・・」と言う話が出た。
なるほどと納得できたのだが、自分に思いやりのある人 は、決して相手に思いやりを求めない。
ひとは自分に欠けているものを相手に求める 。
そうすると、相手に多くを求める人は、言い換えると、自分にそれらが欠けて いることを、公表しているとも取れる。
いゃその自覚が無いから、平気で自分に都合 のいいことを並べ立てる。
そんなオトコとオンナが、バーチャルな世界で出 会う。
相手に自分に都合のいいものを求める。
しかし、それらは実は自分に 欠けているもの同士だから、まさしく「無いものねだり」だと言える
しかしながら 、本来ならば、それらはどちらか一方が持っていれば事足りるものではなく、思いや りも、労わりも、嘘偽りがないことも、誠意も、そして癒しも、すべてのものは、「 互いに」持ち合っていなければならないもの。
わざわざ、声に出して相手に求め るものじゃない・・・
よく、趣味が共通・感性が似ている・価値観が同じ・ ・・・
それが上手くやっていく秘訣だと思われる。
しかし、最初はそれで上 手くいくが、いずれ合わなくなる。
つまり自分と相手が同じだと言う誤った認識を持 つと、真の相手の姿を理解する努力を怠り、相手を思い込んだり、決め付けたりして 、徐々に溝は深まる。
素性の知れないものに警戒心を抱く。
もちろん大事な ことだけど、それは逆の立場から見ると、自分を信頼してくれない人を、自分も信頼 できないと言えないだろうか?
身を守るために、鎧を着る。
一見正論なようだが 、互いに鎧で身を固めたものが、果たして心から理解し合えるだろうか?
相手に 何かを求めたければ、まず自分からそれを相手に示す。
そうすれば相手もそれを返し てくれる。
相手が先に示すのを互いに待っていては、いつまでたっても理解しあえな い。
バーチャルな出会いが危ないのではなく、危なくしている原因のひとつ が、自分自身にもあることを、理解すべきではないだろうか?
「身を挺する 」とはそういうことだと思う。
くまさん
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