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色心不二の色とは、形あるものの意で、認識の対象となる物質的存在をいい、心とは目に見えない精神を意味します。そして不二とは、而二不二(ににふに)にといって、二にして二でないということで、差別即平等を意味します。 すなわち、色心不二は、物質的存在と精神が、仏の悟りの上では融合した不思議の法であることを明かしているのです。
「色」とは、私達の眼でとらえることのできる世界と言えよう。虹の七色の世界、すなわち0.00004センチ~0.00007センチのサイクルが、私達の視界の限界である。赤外線も、電波も、紫外線も、X線γ線α線も、私達は見えないだろう。万物は、何万色かの色彩によって包まれている。その意味で私たちの肉体も色であり、大自然も色と言えよう。
お釈迦様は 三無記をおもちですが、それは失礼ながら、お釈迦様以外の人間には処理能力に限界があったためだと思っています。
よくよくかんがえてみれば大隈さんのしている仕事そのままですね。みえないものを見えるようにきえてしまったものをあらわしているのですから。
と、言われた。
しかしながら、色心不二と同じく「三無記」の意味が解らず、またネットで調べると
見えるはずがないものが見えたり(幻視)、聞こえるはずがないものが聞こえたり(幻聴)、‘金縛り’状態になっていたりするなどの奇妙な現象を正常な状態にある人はどう捉えるだろうか?ある人はそれは心霊現象であると大真面目に言うことだろう。
~中略~
しかし「仏教」では‘X’が私たちの脳との関わりの中で私たちの身体の外に「存在する」とか「存在しない」とか言ってあれこれ議論することを「無記」としてこれを禁じている。一方で仏教では「①人格の主体として業(ごう)を保持している霊魂は過去世・現世・来世の三世を通じて存在する」「②この霊魂は不生不滅ではなく輪廻の主体として業(ごう)や経験に従って常に変化しつつ連続する」と説いている。私はこの霊魂を「意識」に置き換えて哲学的思索を続けている。私の「意識」は私が死んだら消えて無くなってしまうものだろうか?仏教では霊魂(=意識)は三世にわたって輪廻転生すると説いている。私は仏教が禁じる「無記」の領域に入っていろいろ考えてみたいと思う。

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