②-思い (我思う故に我あり)

情報には必ず意図がある・・・

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この話、実ははなはだ複雑であり、凡人には理解しがたいものである・・・

まず最初に「事実」と「真実」という問題がある。

量子力学的に見た「真実と事実」(再掲 2016/07/03)
この二つの言葉・・・似ている様で違うらしい・・・・ネットで調べると事実と真実の違い- 概要 -事実とは、客観的に知ることができる事象のことである。それに対して真実とは、客観的に判断したり確認したりすることは難しいが、主観的な視点や超越的な視...

に詳しく書いているのだが・・・

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事実とは、ある出来事について客観的に見極められる部分のことである。窃盗の事実、事実無根、事実上、のように使う。それに対して真実と は、ある出来事について客観的に判断ができない部分について、主観的な視点で「正しい」こと。また、宗教や信仰において信じられている真理のことを真実と いう。たとえばマリアの処女懐胎やイエスキリストの復活は、今日の科学的な知識によれば事実ではないはずだが、キリスト教徒にとっての真実である。

http://imasara-chigai.lance5.net/z371.html

と、書かれているし、他を見ても大筋で同じことが書かれている。

簡単にいうと「事実」とは、客観的に正しいが、「真実」とは個人の主観によるということなのだと思う。

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つまり「事実」とは「複数の人々」が「確認できる」「出来事」と言う事になる。

そして「真実」とは「個人的」なもので、どちらかというと「内面的」なもので、「価値観」などの影響を受けやすい。

と、いう違いがあるのだが・・・・

だけど・・・・

実は「量子力学」の世界では、「観察物」は「観察者」の「影響を受ける」と言われている。

つまり一つの「観察物(出来事)」を、仮に「二人の人物」が「並んで」「同時に」見ていたとしよう・・・・

その時「肉体的な瞳」には、「同じ場面」が映っていたはずなのに、しかし「脳裏」に映った「映像??」は、実は「違う可能性がある」という話なんだよね・・・

この話を基にして考えると・・・・

実は「複数の人に共通した事実」というものは、量子力学的に考えると存在しないと言う事になるわけ・・・・

このことについて、一つの「例」を出せば

この平野雨龍中国大使館前の演説・・・

これを「愛国者」と見るか、あるいは「中國への宣戦布告」ととるか?

つまり「一つの動画」を、複数の人が見ていても「受け取り方」はまるで違う・・・

では同じ平野雨龍の「中國大使館前のアジ演説

は、どう受け取られるのか????

同一人物の「言動」の違いはどうだろうか?

これでも「日本国民」にとって、「愛国者」と映りますか・・・・

また

国を失ったら、私たちは何が残るのか??」と演説していて「さすが愛国者!!」と感じられたと思うが・・・

現在の日本の状況を作っているのは「自民党」ですよ・・・

帰化人排斥」を訴えている彼女は

こういう画像がネット上に上がっています・・・・

まぁ彼女に関するネット上の「情報」はまだまだあるのですが、問題は「どう受け取るか??」という「受け取り方」の影響を多大に受けると言う事。

そして、もう一つ「情報には意図がある」という話。

例えば、テレビや新聞などの「メディア」が流すニュースも、だれもが共通する「事実」を「中立」な立場で報じているのか?

一方、それに反論する「ネット上」の情報も数多くある。

たぶんほとんどの人は「NHKが嘘を流すはずがない・・」「政府が国民をだますはずがない・・・」と、信じて疑わない人は「ネット上のどこの馬の骨か分らん奴の話なんか信じられるか!!」と思われるだろうな・・・・

これを「報道側」が流す情報を「プラス」として、その「反論」を「マイナス」とすれば・・・・

どちらの話を信じるか?

それは「受け取りて」の判断なのだが・・・・

しかし「どちらが正しくて」「どちらが間違っている」というような「単純な話」ではなく、どちらの情報にも実は隠れた「意図」があり、「発信」されたものだと言う事。

問題なのは「その裏」をどれだけ「読めるか・・・・」が、実は「真実を見抜く目」だったりする。

その時、両方の話を聞き、そして話に「矛盾点」がないか?

あるいは「」がないか・・・・

それらを「ニュートラル」つまり「中庸」な立場で判断できないと、片方の話だけを「鵜呑み」にするようでは、本当の姿が見えてこない!!

くまさん

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