量子力学的に見た「真実と事実」

この二つの言葉・・・

似ている様で違うらしい・・・・

ネットで調べると

事実と真実の違い

 

– 概要 –

事実とは、客観的に知ることができる事象のことである。それに対して真実とは、客観的に判断したり確認したりすることは難しいが、主観的な視点や超越的な視点における「正しさ」である。

– 詳しい解説 –

事実とは、ある出来事について客観的に見極められる部分のことである。窃盗の事実、事実無根、事実上、のように使う。それに対して真実と は、ある出来事について客観的に判断ができない部分について、主観的な視点で「正しい」こと。また、宗教や信仰において信じられている真理のことを真実と いう。たとえばマリアの処女懐胎やイエスキリストの復活は、今日の科学的な知識によれば事実ではないはずだが、キリスト教徒にとっての真実である。

http://imasara-chigai.lance5.net/z371.html

と、書かれているし、他を見ても大筋で同じことが書かれている。

簡単にいうと「事実」とは、客観的に正しいが、「真実」とは個人の主観によるということなのだと思う。

にゃるほど・・・・・

と、納得する人が多いが、実は私は逆だと思う。

その根拠なのだが、アインシュタインとボーアの量子物理学の問答の中で「月は人間が見ていなくても存在するのか?

 

と、言う問答で、アインシュタインは「月は見ていなくても存在する」と言った。

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ところがボーアは「シュレーディンガーの猫

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のはなしで、答は「観察者の影響を受ける」という話を持ち出した。

つまり、量子力学的にいうと「客観的事実」は存在せず、観測者つまり「主観的」な存在しか実は存在しないということになる。

つまり、事実が誰にでも共通すると考えることが間違っていて、実は自分が見た事実と、となりで並んでみた人の事実がイコールであるとは限らないということになる。

だから・・・・

よく私は言うのだが、人は自分の考え方が間違っているとは思わない様で、常に自分は正しいと思うらしい・・・

そこで、自分と周りのみんなは同じ考え方のはず・・・

と、勝手に思い込む習性が人間にはあるのだろうが、自分の考えを「常識」だと決めつけ、その常識は大多数の人が「共有」しているはず・・・

なので、自分と違う考えの人を見ると、「非常識」で、みんなも同じように感じていると、勝手に思い込む。

ところが・・・

ここで先ほどの「客観的事実」というのは、実は存在しない。

あるのは「自分にとっての事実」つまり、自分にとっての「常識」しか存在しない。

つまり、客観的事実は世の中には存在しないことになる。

あるのは貴方にとっての「常識」でしかなく、貴方の常識、私の非常識と言うことになる。

(資)文化財復元センター おおくま

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①-読書録
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