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私は弁護士を使わない「本人訴訟」を数多く経験しているのだが・・・
「司法」そのものの在り方にも疑問を抱くが、それ以上に「法律」とは何か??
ということに、最近疑問を抱いている。
つまり、「法律」って、「文章」で表されたものだよね??
まずそれ自体が一番の問題点だと思う。
人間のコミュニケーション手段として考えた時、「文字」は誰でも「共通」のものだと思うのはいささか問題がある。
人は生まれながらに変わらない人はいないし、必ず教育やマスコミや周りの人の影響を受けているし、それらは「常識」という名で、共通していると思われているが、これ自体が根本的に問題で、実は「万人共通」の常識は存在せず、あるとすれば「共通のくくり」においては似たような常識はあり得るけど・・・・
これって、要するに「量子力学」的に言えば・・・・
「観察物は観察者の影響を受ける」と言われているように、万人共通の「常識」もなければ、万人共通の「受け取り方」も存在しないわけよね・・・・
つまり「法律」って、ハッキリ言えば「受け取り方」の影響を必ず受けるわけよ・・・・
そんな「あやふや」なもので、人を裁く「司法」そのものも、問題が大ありだと思う。
ただ、裁判官は必ずと言っていいほど「判例」を重んじているんだけど、これも大いに問題ありなんよ・・・
つまり「事件」とは十把一絡げにできるほど「共通」のものは存在せず、すべて百件あれば百通りの違いがあるのに、裁判官はそんなことを無視して「前例」と同じ判決を下すことがほとんどなんよね・・・・
本来「法律」そのものが「受け取り方の影響を受ける」ものなのに、どういうわけか「自分の受け取り方」という一番の問題を「他人に一任」しているのが、実情なんよ・・・
もっと言えば・・・・「法律」を創った者の「意図したこと」が、その法律文を読んだものには、必ずしも「正確」には伝わらないという、そもそもの「根本的」な問題を抱えているのに、司法に携わる者のほとんどは、「そんなこと」すら考えたことが無いものが多いということ自体が問題なんよ、いゃホンマ・・・
くまさん

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