「私の中のあなた 」Hulu

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2009年のアメリカの作品らしい・・・
最初にHuluの作品の説明に

世界中を涙で包んだ空前のベストセラー待望の映画化! 私の命はオーダーメイド。姉を救うために生まれた。でも今、私はその運命に逆らって、大好きな姉の命を奪おうとしている。ケイトに生きて欲しい―その想い は、家族みんな同じだと疑わなかった母・サラは、ある日、信じられない知らせを受ける。「もう姉のために手術を受けるのは嫌。自分の体は、自分で守りた い。」と、アナが両親を訴えたのだ。いったい何故、アナは大好きな姉を救うことをやめる決意をしたのか? そのアナの決断の裏には、驚くべき真実が隠されていた―。

 

なんてな意味深なことが書かれており、見たいものリストに挙げておいたが、なかなかそれを見る気にならなかった。

 

つまり、この説明からイメージしたのは、年頃の女性の話だと思っていたら、見始めてそうではなくローティーンの姉と妹という話であった。

一組の夫婦に生まれた赤ちゃんが白血病と診断された。
母親は弁護士だったが仕事を辞め、看護に専念した。

両親をはじめ身内にドナーの適合者がいない時に、医者から「試験管ベビー」の提案を受ける。

 

つまり「デザイナーベビー」というらしいが、受精卵の段階で姉と「適合性」を持った妹を創った。

 

妹は姉のために小さい時から多くの犠牲を強いられてきたが、ある日妹は敏腕弁護士を雇い、両親を訴えた。

 

つまり腎臓提供を母親から強要されたが、姉を救う気持ちはあっても、しかし自分の人生の負担も大きいとそれを拒否した。
それを訴えられた母親は、自分自身を弁護士として弁護し、妹の雇った敏腕弁護士と法廷で争う。

 

なぜ、敏腕弁護士は妹の弁護を引き受けたか?そしてそれに対する母親の言い分・・・・・

 

その対比が、この作品のテーマとなっている。

つまり、母親としては、何があろうとわが娘の命を助けることを第一とし、自分自身も仕事を辞めたし、家族が一丸となって協力することが「当たり前」と考えるようになってしまった。

 

妹はもともと姉に「臓器提供するために創られた」存在と考えていた。 

      

    

その母親役をキャメロン・ディアスが演じているが、若いころの恋愛ものと違い、嫌われ役となっている。
つまり、母親は「姉の命」を救うことしか考えられない「視野の狭い」母親となってしまっていて、兄や妹のことまで愛情が回っていない。

 

たとえ親であろうと、妹は「一人の人」としての人格があり、本人の承諾がなければ「強要」できないことに、弁護士でありながら気が付いていない。

 

そんな視野の狭い母親に対し、実は姉は同じ病院の白血病の患者の男の子と付き合っていたが、彼は先に亡くなってしまい、自分自身も痛い思いをして体を切り刻まれ、家族に迷惑をかけるより、死にたいと願うようになった。
妹はそんな姉の願いをかなえるために、あえて腎臓提供を拒否し、両親を訴えた。
それが裁判の最後に妹の口から明かされるのだが、それでも母親は納得できない様子だったが、その晩母親と姉は病院で一晩過ごし、その夜姉は天国へと旅立った・・・・

 

とても考えさせられる内容で、私は常々言うのだが、母親は姉の命を救うことをあきらめずに頑張っていて、それは家族みんなにとっても同じなのだと「思い込んで」しまっている。

 

常識とは、自分にとっての常識に過ぎず、万人共通の常識ではないことに気が付かない。
さて、Wikipediaを見て分かったのだが、原作の小説と映画では結末が逆になっているらしい・・・・

 

映画では姉は死に、妹をはじめ「家族」の絆が戻ったとされているが、小説では妹は雇った敏腕弁護士の車に同乗中に事故にあい、脳死状態となり、その腎臓は姉に提供され、姉は奇跡的に回復したとなっているらしい・・・・

 

どちらにしろ、「自分の立場」でどちらが正しいかを考えさせられる作品だと思う。

(資)文化財復元センター  おおくま

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①-読書録
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