2000年のハリウッド映画らしい・・・
一人の少年が始めた行動が、世の中を変える力になりえることを物語る、奇跡のストーリーである。
画面の始まりは、あるフリーの記者が、警察無線を聴きながら事件現場に駆けつける。
その犯人は彼の車を破壊し、逃げ去る・・・
嘆く記者の前に、一人の男が現れ、新車のジャガーを彼に与え、静かに立ち去る。
記者は、あり得ない出来事に動揺するが、翌日その車をくれた人に理由を尋ねると、彼自身も娘が病院で順番待ちで死にかけていた時に、一人の男に順番を譲られたが、その譲った男はその時病院で発砲し、それが原因で刑務所に入れられたが、その時彼は「次へつなげ・・・」と言い残す。
ジャガーをくれた男は、それを実行した。
記者は、次に刑務所の男を尋ね、理由を聞くと、彼もまた見知らぬ老女に助けられたと言う。
一方、主人公の少年は中学1年生の初めての授業を受けるが、その授業は「社会科」で、担当の教師は顔にやけどの跡のある、理論的で厳しい教師。
教師は生徒に「社会を変える方法」と言うテーマを与える。
少年はそれを考え、実行した。
彼はまず一人の路上生活者に優しくし、彼を家に招き寝食を与えた。
その路上生活者は、少年の助けを得、一度立ち直るがすぐにまた元の生活に戻ってしまう。
しかし彼もまた、自殺しょうとした人を説得し「次につなぐ」行いをした。
少年の家庭は、アル中の父親は家を出て行き、母親と二人暮らしであるが、母親もまたアル中であった。
少年はそんな母親になんとか酒を止めさせようとし、次にその社会科の教師を自分の母親に逢わせ、仲を取り持とうとした。
少年の考えた「社会を変える方法」とは、一人が三人に対し、「良いこと」をする。
次にその三人もそれぞれ、三人に良いことをする・・・
つまりネズミ算的に、良いことが広がり、世の中が変わる。
最初に出てきた記者はさらに取材を重ねるが、刑務所の男を釈放するように知事に手を回し、そしてその男を助けた老女を取材する。
するとその老女もアル中の路上生活者だが、自分が娘をアル中にしたのだが、それを娘に許してもらったと言う。
その娘とは・・・・
主人公の少年の母親であった。
記者は、その娘を尋ねて、はじめて少年にたどり着く。
一方少年が縁を結んだ教師と母親の間に、アル中であった父親が、それを克服したと家に戻ってきた。
母親は、父親を受け入れるが、教師は自分の顔にやけどの跡がある理由を初めて、彼女に話す。
教師はDVの父親からガソリンをかけられ、火をつけられた経験を話し、いずれ少年もそんな目に合うと彼女に警告する。
記者は少年をテレビ出演させ、全米に放送しょうと計画した。
少年は3つの良いことを計画したが、もう一つやり残していた。
クラスのいじられている生徒を助けることだったが、なかなか勇気が出ない。
しかし、またいじられている現場に出会い、彼を救おうと立ち向かったとき・・・・
少年はナイフで刺され、死んでしまう。
少年を紹介する番組が全米に流れ、そして最後に「少年が今晩亡くなった・・・」と告げた。
嘆き悲しむ母親と教師が、家のドアを開けると・・・・・
表には番組を聴いた多くの人々が、少年の死を悲しみ、ろうそくを持ち、自宅に行列ができていた・・・・
哀しい結末であるが、もし私が数年前にこの映画を観ていたら、多分「つくりばなし」としか受け取らなかったと思うが、今の私は少年の行いは正しいと言える。
この手の親切を次につなぐという話は、「心のチキンスープ」の中にも収められていて、アメリカのハイウェーの入り口で、金を払おうとしたら、前の人が「2台分」と言って払ったらしい・・・
しかし、その車とは無縁の人だった。
全米ではこういう良いことを次につなぐキャンペーンなども行われたとか・・・
人の「真心」や「親切」には、国境もなければ、人種の違いもまた無いと思う。
名もなき、力もない一人一人でも、真心で他人に接し、親切な行いをすれば、いずれ世の中は変わる。
(資)文化財復元センター おおくま
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