1946年のイギリス映画らしい・・・
先ほどの「自転車泥棒」は1948年のイタリア映画だから、モノクロだが、こちらはそれよりも2年も前なのに「カラー」である。
先日「赤い靴」と言う映画の話で、もともとカラーで撮られたものだったと話したが、この作品と、同じ年の作品だから、やはり間違いないのだろう・・・・
当時は「テクニカラー」と呼ばれる技術が使われていた様で、今と違いカラーフィルムで撮るわけではなく、1つの画面を3原色の分解フィルターを使って、3本のモノクロフィルムにそれぞれ記録して、それを映写用に「ダイトランスファ」と呼ばれる方法で、カラー映写用の「ポジ」フイルムを作っていたらしい・・・
で、なぜこんな古い作品を見たのか?
実はこの作品、尼さんが主人公である。
鈴木秀子の本の中に、3本のキリスト教関係の作品が紹介されていて、「ブラザーサン・シスタームーン」「親分はイエス様」そしてヘップバーンの「尼僧物語」なのだが、親分はイエス様は、先日YouTubeで見た。
残りをαビデオで検索したが出てこない。
ただ、この作品も尼さんが主人公で、作品の見本写真には、ヘップバーン並みの美しい尼僧の姿が有った。
それは「デボラ・カー」らしいのだが、ストーリーは最初はインドの修道院が出てきて、老修道院長がヒマラヤ山麓の村で尼僧院を開くから、その若き尼僧が責任者に任命された。
で、画面はヒマラヤの村に移るが、私は最初の修道院がインドで、いきなりヒマラヤとは、ずいぶんと遠くに来たな・・・と思っていたが、よく考えるとヒマラヤってインドの奥部だった・・・・
その場所は元々その地域のスルタンのハーレムだったところで、そこの管理人の老女は、古い幽霊たちとそこに住むと言う。
その村には一人のイギリス人がいて、彼もいろいろと尼僧たちの世話をするが、ここに越してきてから尼僧たちの様子が、みなおかしくなった。
綺麗な水のせいで、発疹が出たり、各自が尼僧になる前の過去を思い出したり、中にはそのイギリス人と委員長との間を嫉妬して、気がふれる尼僧が出たり・・・・
最終的に、その気がふれた尼僧が嫉妬のあまり、委員長を崖から突き落とそうとして、自分が落ちて死ぬ。
最初にその館を訪れた時、イギリス人は「春まで続かないだろう」と言ったが、その時若き院長は気分を害したが、結局彼の指摘した通り、春まで持たずに、尼僧院を閉じて、その地を去ることとなった。
で、この映画で面白いことは、そのヒマラヤの霊気で、彼女たちの様子が変わったのか、あるいはそのハーレムに住む幽霊たちが、尼僧たちを狂わせたのか?
どちらにしろ、最終的には「撤退」することとなるのだが、これでは明らかに「キリスト教」の敗北を意味すると思うが、ユングの「集合的無意識」のなかに「元型」と言われるパターンが、何種類かあるのだが、その中に「英雄」というモノがあり、英雄は旅に出て、その旅先で怪物をやっつけて、帰ってくると言うパターンらしいのだが、ハリウッドの現在の映画はすべて、このパターンに沿って作られると言う。
にも関わらず70年ほど前の保守的なイギリスが作った映画なのに、「キリスト教の敗北」を認めるような内容であることが、ちょっと気になった。
(資)文化財復元センター おおくま
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