12人の怒れる男たち

【12人の怒れる男たち】
2007年04月04日19:46
昨日BSで50年前の映画をやっていた。

昔たしか「日曜洋画劇場」で見た覚えがある。
当時はまだ若かったし、今ほど物事を深く追求しなかったから、さほど記憶に残っていなかったんだけど、ストーリだけは他でもいろいろ聞いていて知っているんよね・・・

もうじき日本でも「陪審員制度」が始まるらしいけど、僕はあれをどうかと思っていたんだけど、その裏にはこの映画のこともあった。

内容は一人のスラム街の少年が、父親を殺した罪で裁判に掛けられ、それを裁くのが一般市民12人の陪審員で、その判決を下すまでのなんか1時間半ほどの間のやり取りの映画なんよ。

で、どうも「全員一致」でないと、判決が確定しないらしく、11人が「有罪」だとしたが、ただ一人「無罪」だと言い出すわけ・・
それが、いずれ映画の終わるときには全員「無罪」と変わるわけ・・・
別にそれがどうした?と言えば、それまでのことなんだけど、僕は常々思っているのは「人が人を裁けない」と思うわけ・・・

なぜなら、その裁定の基準は絶対的なもので無ければならないはずなのに、実際に人を裁く「裁判」では、裁判官が変われば、判決は180度変わる。
早い話が「法の解釈」だと言うけど・・・

でも、世の中の基準とすべき「法」って、そんな「解釈の仕方次第」で、コロコロ変わっていいものか?と思う。
そんな「曖昧」な基準で、その人の一生を左右する権利は、同じ「人間」にあってはならないと思うわけ・・

裁判どころか、法の「番人」の警察そのものが、いかにいい加減な連中が権力を行使しているか?

少なくても、裁判官とか警察、それと特に「弁護士」と呼ばれ連中は「法」を飯の種としか考えていない輩が非常に多く、「正義感」が欠けた連中が、高い給料をもらって「特権意識」をむき出しにしていたりすると思う。

そんな「法のプロ」でさえ、非常に曖昧な基準で人を裁くのに、それを一般市民の判断に委ねるとなると、もっととんでもないことが起きると僕は思う。

コメント

さくら

さくら2007年04月04日 21:59 削除
高学歴で机の上で勉強ばかりして人だけが人を裁くのは恐ろしいと思うよ・・・

曖昧だからいい部分もある、だってパターンは無限にあるから。
自分の快楽で人を殺した人とどうすることも出来ない状況で人を殺めた人は違いがあっていいと思うし

極端なこといえば人が人を裁けるかって問題になると思うんだけど、ないともっと大変なことになる

曖昧がいいこともあると思うんだわさ。

カテゴリー
③とある女性とのやり取りの記録
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