聖なる国、日本  エハン・デラヴィ   その3

005
彼はさらに言う。
日本には「茶道」「華道」「柔道」「剣道」と、あらゆる「」がある。
 
それを一歩一歩踏みしめながら、高い精神性を獲得してきた。
 
しかし、現在の日本人は忙しくてとてもできないという・・・・
 
しかし彼は言う。
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本当に忙しいですか?「忙」という字は心が亡ぶと書きますが、そうなってしまったのはなぜでしょうか?
たとえ週一回、三時間だけ「道」の習い事をする時間すら確保できないでしょうか?
そういいながらスマホの画面と向き合っているのはなぜでしょう?
結局、自分の決心の問題ではないでしょうか?
今日一日いっさいSNSはしない!
そういった決意を持つことはできないでしょうか?
 
「断つ」という選択ができないのは、怠惰だということです。
そうした人たちの割合が大きくなっているのが、日本人の現状ではないでしょうか?
:現在日本人は怠惰なのですから、政治も経済もよい方向に向かうわけがありません。
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と、切って捨てる。
 
彼は続けていう。
日本には「」もあるが、もう一つ特殊なパワーが存在する。
 
それは「」だという。
日本には国土が持つ高次元の聖なるエネルギーがあるという。
 
 
私もそれは判る気がする。
私は自問自答するのだが、神社の拝殿の正面に「」が祀られているのを見て、その鏡には何が映るか?
そこには手を合わせている自分の姿であり、実は神とは外にあるのではなく、自分の中にあることに気が付いた。
 
しかし、じゃ神社には何もないのか?と、ずいぶん考えたが、そこには内なる神と相乗効果のある「」としてのエネルギーがあることに気が付いた。
 
 
彼は知人の漬物屋の話をするのだが、その漬物屋には二十代の娘が居た。
父親は自分の代で漬物屋は終わるものと覚悟していたら、なんとその娘が漬物屋を継ぐと言いだした。
 
イマドキの若い女性がそんな仕事をしたがりますか?
でもその娘は、父親や母親のことを考えたとき、先祖代々続いている漬物屋を自分が途切れさせることへの罪悪感もあり、また親思いというか、そんな「美徳」がまだ日本には残っていたと感激したという。
 
 
話は変わって「シンクロシティ」という言葉は、にほんにも流通しているが、それは物理学でも実証されていて、遠く離れたものの間に「相互作用運動」は起きるという。
 
 
今までの常識では「あり得ない」ことと片づけられるが、実は世界中にはそんな不思議な出来事であふれているという。
 
かくいう私も嫌と言うほど「不思議な出来事を体験しているのだが、ほとんどの他人はそれを信じようとしない。
とくに宗教関係者が興味を示さないのが不思議である。
 
 
彼のポケットにはいつも最小限のお金しか入っていないという。
 
それは見ず知らずの地でお金が無くなるという「恐怖心」に打ち勝つトレーニングだという。
 
実は私も同感である。
 
若いころはいつも数万円を持ち歩かないと、何かあった時には困るという気持ちがあった。
 
いずれ歳をとってくると、金がなくても不安感を抱かなくなった。
 
 
彼は「3.11」はそんな不安感のトレーニングの機会だったという。
 
あの時、多くのサポートがありだれもが感謝の気持ちを持った。
 
こんな気持ちを持った時こそ「宇宙からのサポート」とコネクトできるチャンスだった。
 
しかしやがて感謝の気持ちは薄れ、国や自治体からの支援を受けることにより、その気持ちは失われていったという。
 
 
また彼はここでも言っているのだが「恐怖ビジネス」に負けてはいけないと。
 
それは「ドラックビジネス」をさすのだが、本来人類はみな健康であるべきだが、しかしそれではドラッグビジネスは成り立たない。
だからこそ、病気に対する不安をメディアを使って植え付けている。
 
しかしイギリスで医療関係のストライキ時には、実は病気の発生率が下がっていたという。
 
アリもしない不安を仰ぐことで、彼らのビジネスは成り立っている。
 
まさにニューソートの考え方である。
 
 
 
おわりに」で、彼はネルソンマンデラ氏が大統領就任演説で引用した、マリアン・ウィリアムソンの詩を、「日本人のこころ」に留めてほしいという。
 

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私たちが一番恐れているのは、自分の無力さではありません。

私たちが恐れているのは、自分の並外れた力強さです。

私たちを怯えさせるのは、自分の闇ではなく光なのです。

私たちは自分にこう問いかけます。

「私はいったい何者なのだろう」?

「私は華麗で、才能豊かで、素晴らしい人間になっていいのだろうか?」

本当の自分を偽ろうとするあなたは何者でしょうか?

あなたは神の子です。

自分が取るに足らない人間であるふりをしてみても、それは世の中の役に立ちません。

周りの人に不安を抱かせないように小さく生きるのは、決して正しいことではありません。

子供がそうであるように、私たちはみな光り輝く存在です。

私たちは自分の内にある叡智を明らかにするために生まれました。

それは限られた人にだけあるのではなく、全ての人の中にあります。

自分の光が輝くにつれ、私たちは無意識に、他の人を輝かせることができるのです。

そして私たちが自分自身の恐れから解放される時、私たちは他の人も開放することができるのです。

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(資)文化財復元センター  おおくま
 
 
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①-読書録
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