聖なる国、日本  エハン・デラヴィ   その1

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昨日は著者の半生に触れたが、この本の前半は彼の生い立ちと、彼が日本にたどり着くまでの旅について触れているのだが、それはヒッピーとして金も持たずにヒッチハイクで世界中を旅しているが、その中で得られたものの一つが「絶対に何とかなる。何があっても生きていける」という自信が生まれたという。
 
そしてその事は頭で判っているだけでは、本物の自信ではないという。
自分でそんなことは判ってた気でいると、40代で同じ問題に必ずぶつかるという。
それは将来への不安とか心配とかという形になり、鬱病になるという。
 
彼は自分の魂を動かされるような探求の旅の中で、身をもって実感したという。
 
 
確かに私もそれは判る。
 
私自身、この仕事を続けながら、いつまでも続く苦労に、どうしても不安が伴ってきた。
しかし、高橋信次の本を読むうちに、「心の安定」が少し得られ、不安な思いもずいぶん薄まった。
 
ただ、それでも多くの本には「神はすがれば見捨てない」とか、「委ねる」事の重要性は書かれているが、しかしだからと言ってそれを全面的に信じ切れず、「もし委ねていて、ダメだったらどうしょう・・・」という不安は拭えなかった。
 
しかしそれも彼も同じだろうが、人はどん底に落とされたときに多くの学びがある。
 
そのなかで、「確かに何とかなる。生きていける・・・」と実感した。
 
その事は、確かに頭で判っているだけでは、必ず失敗する。
 
彼はその事について
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私は、人というのは限界に立って初めて、自分が何者であるかがわかると思っています。
そのためには、厳しい試練が課せられたり、極限まで追い詰められて、その最後のところで自分とは何かがわかってくるという、そんな生き方こそが本当の人生なのだと思っています。
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と、言う。
私もまったく同感である。
人は苦労をして初めて多くを知る。
 
また彼はその事について、言葉を変えれば信仰のトレーニングだと言い「信じること」とはどういうことか?
 
これは大学に行っても宗教家になっても、たぶん学べないことだと思うと書かれているが、まさにそれについても私も実感した。
今回の人生最大の試練で学んだことは、まさに「信じること」の大切さなのだが、それは人を信じることではなく、「」と呼ぼうが、「宇宙のこころ」と呼ぼうが、「目に見えない不思議な力」と呼ぼうが、とにかく信じてさえいれば、必ず生きていける。
 
 
 
また、彼は「死ぬための理由」のたとえ話に、初期のクリスチャンの話を出す。
ローマ政府に捕えられ、拷問を受け、「信仰をやめれば助けてやる」と言われたときに「放棄するくらいなら死んだ方がいい」と死を選んだ事に、彼は心を動かされたという。
 
そのクリスチャンは本当の「信仰」をもっていたからだと言い、「人は生きるための理由は持ち合わせていても、死ぬための理由は普通は持ち合わせていない」と言い、彼自身も放浪の旅でそれを探していたという。
 
 
 
彼は日本女性と結婚し、日本で生活を始めるのだが、はじめて子供ができたとき、西洋人である彼は子供に厳しく躾をしようとするが、日本人である母親は子供を甘えさせ守ろうとしたという。
 
そして、妻の子供に対する愛情の注ぎ方を受け入れていくことで、彼のバランスは回復したという。
 
その事について、私も思うのだが、私は離婚しており、次のパートナーを探すために「出会い系」で多くの人とやり取りを経験しており、その中で学んだことの一つに、ほとんどの人は相手に対して「同じ趣味」「同じ価値観」など、自分と同じであることが、相性がいいと思い込んでいるが、実は逆だと私は思う。
 
このことはよく例えていうのだが、磁石の「」と「」のように、同じものは反発するが、違うものはものは引き合う。
また「」と「」のように、違うからうまく収まる・・・・
 
しかしそれが理解できる人は非常に稀で、性格や考え方が同じだということは、私は「1×1=1」だと思う。
でもそれぞれが相手に持ち合わせないものを自分が持っていれば、それは「1+1=2」なのである。
 
ましては、時によってはそれは「相乗効果」を生み、答えがになったりになったりする。
 
ゆえに私は相性とは自分と違うことの方がいいと思う。
 
(資)文化財復元センター  おおくま
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①-読書録
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