続・「〈神道〉のこころ   葉室頼昭」その2

神道のこころ

この本には

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だから健康で長生きして、若い人たちに、どうだ、こうやって生活すれば、健康で長生きするんだと、それを伝えていくのが年寄りの義務だと思います。 死ぬのもただ死んだらいけない。 立派に死んで、凄い立派な死に方をするなということを若い人に伝えていかなければいけないんです。 だから病院でたくさんの管を通され点滴を打たれて死んだりするのは、あんなのダメなんです。 ぶざまな死に方をしないで、死ぬときは自分の家の座敷で大往生で、みんなに看取られながら、立派だな、おじいちゃんは凄いなと言われて死んでいくことです。 そうして真実の死の姿を若者に伝える。 これをやるのが年寄りの仕事です。 そうしたら若者はみな年寄りを尊敬すると思いますね(笑)。

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と、凄いことを言われていますが、こういう人が医者なんですよ、本当の良心的な・・・・

 

実は葉室頼昭さんの軍人であったおじいさんは、まさにこのようにして亡くなったようです。

ですから、決して理想論だけじゃないんですね。

 

 

また、この本には宇宙の成り立ちが書かれていて

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宇宙の最初は無であったと言うことになります。 その無から物体ができたと。 今の宇宙物理学ではそういう風に考えられています。 ではその無の世界に何があったかということになると、そこに「心」があった どんな心があったかと言いますと、正確には表現できませんが、神の心、大宇宙のどれかの星に、人間という生物を造ろうという神さまの心があったと、私はそう考えています。

 

ところで、どんなに進化し化学が発達しても永久に見ることができないものが一つあります。 それは何かというと自分自身です。 神様もまた自分の姿を見ることができない。 だから神の本当の姿、本当の世の中を見てくれて、そしてそれを実際に表現してくれる人間という生物を造ろうと思われた。 だから人間に言葉という表現方法をお与えになったに違いないと、私は思うんです。

 

つまり、人間が進化したから言葉ができたのではありません。 神様が言葉によって神様自信を表現させようと思って、人間を進化させたと考えるべきです。 まず言葉が必要だったのです。

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この宇宙の心が神であり、その神は自分を知るために人間を作ったという考え方は、「神との対話」などにも後から出てきます。

 

ただ、言葉の話は、あまり聞いたことがありませんが、葉室頼昭さんが言われると、説得力があります。

 

そして、言霊信仰との関係を

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先ほどから申し上げているように、日本には古来から言霊信仰というものがあって、言葉には魂があるから、いい言葉を言えば幸せになり、悪い言葉を使うと不幸がやってくるという信仰がずっと昔から伝えられてきました。 科学の時代に、言葉だけで不幸になったり幸せになったりするというようなことは、非科学的である、嘘であると言う人が良くあるけど、それは間違いです。 いま宇宙のはじめに、無から有になるという話をしましたが、その無には、神さまの御心が宿されていたと私は確信します。 心というのは実体がない波動ですから、その心の波動から物体ができたということになります。 

 

で、最初にできたものというのが原子核を構成する素粒子。 これも当然すべて波動でできています。 その波動から一つの原子核というものができる。 それに対し、電子という波動があって、この二つの波動が引力によって調和して原子というものができたのです。 つまり大宇宙に存在するすべてのものは、原子で構成され、そしてすべての原子は波動、心の波動からできているのですから、今現在地球上に存在する物体はすべて心の波動からできている、神さまのみ心から生まれたということになります。

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どうですか?ここまで見事に「言霊信仰」の正しさを理論立てて説明できる人が、神道にいますか?

 

だから、神さまは葉室頼昭さんを、春日大社の宮司にするために、これだけ他の分野を経験させたのではないでしょうか?

 

しかも、いきなり庶民から出現したのではなく、「葉室家」という藤原家の血をひく、由緒正しい、しかも春日大社は本来その藤原家の血をひくものが宮司をやってきたらしく、ただ血筋がいいから継いだのではなく、彼を葉室家に誕生させたのも、そして女系でありながら、ひいおじいさんも、軍人であったおじいさんも、そして武家から入った銀行員のお父さんも、すべて、「宮司」という職に導いてきたのは、果たして「神」以外の存在でできるでしょうか?

 

こんな現代だからこそ、こうやって「」という存在を一般人に、理論立てて説明できる人間を、わざわざ100年以上の年月をかけて、育ててこられたと考えざるを得ないと思います。

 

そして、彼も

 

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 この世の中は見えないものが真実、実在なんですよ。 宇宙は見えないんです。見えるものはほんのわずかしかない。というのは見えるものというのは眼球が感じる波動しか見えない。 ところが波動というのは無限にあるんです。 だから見えないもの、実在のものが無数にあるんだけど、無数にある波動をわからせるには、少しだけ見せてやろうということなんです。 それが宇宙の仕組みでしょう。 少しだけ見せてやったら、見えないものがある、それのすばらしさがあるということを感じるでしょう。 全部見えてしまったら感動がない。 だからほんのわずか、人間の目が感じる波動は、宇宙の無限の波動のなかのごくわずかなんですね。

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と、「目に見えないもの」の存在こそ、真実、実在だと言っていますが、この考え方はわたしの「文化財」に対する考え方と同じなんです。

本当の価値は、物質にあるのではなく、その中身に在るのだと、ずっと訴えてきましたが、あいにく葉室さんほどの説得力を持たないのですが、しかしこの考え方は、私の顕在意識が考えたものではなく、気が付くと自分の中にあってものです。

 

そして、私もこの仕事に導かれたと思っていますから、葉室頼昭さんと同じ使命を神様から与えられていると思っています。

 

先日の砂澤さんは、数十万人に一人の、高橋信次と同じような霊能者ですが、この葉室頼昭さんは、どうもそうではないようですね?
ただ、素直に神の導きに従われて、神のご意志に沿った人生を歩まれたように思います。
 
私も、砂澤さんのような霊能力があれば、もっと神との意思疎通が楽なんですが・・・
かといって、彼女のような厳しい修行には耐えられませんが。
 

 

(資)文化財復元センター  おおくま

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①-読書録
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