うちの仕事は、国宝や重要文化財など指定文化財が依頼されることはほとんどない。
なぜなら、指定文化財は所有者の意思だけで移動させることはできず、必ず教育委員会なり、文化庁にお伺いを立てる形になる。
手続きが面倒で、なかなかそんな作業はさせていただけない。
また、所有者にとっては大事な文化財だが、歴史上に登場するものも少ない。
ところが、この笠置寺は、1300年の歴史があり、弥勒磨崖仏はその当時彫られ、その磨崖仏が「弥勒信仰」の発祥の地となっている。
そして日本史に登場する数々の人が、この弥勒仏に参り、700年前の元弘の乱で、磨崖仏横の本堂が焼け落ち、同時に石に刻まれ、永遠の命を得たはずの弥勒仏の姿は、その戦火を浴び、表面に刻まれた姿は熱のため、ほとんど跡形なく剥がれ落ちた。
現在の姿は当時の姿は全くうかがえない。
僕の行うデジタル復元は、特殊撮影で、肉眼では確認できない「痕跡」を探す。
絵の具や墨で描かれたものは、何らかの痕跡が残るが、しかし石に刻まれ、剥がれ落ちたものは、赤外線だろうが、紫外線だろうが、ほとんど情報は得られない。
なのになぜ復元を引き受けたのか?
それは別に残された資料があるからと言える。
まず、大野の磨崖仏は、この笠置寺の弥勒仏を模彫されたものという話であったり、岩舟神社の磨崖仏もそうらしく、何より「笠置曼荼羅」に当時の磨崖仏が描かれている。
そういう資料と、超拡大画像から、残された痕跡を割り出した。
それに対し、笠置曼荼羅に描かれた姿を重ねるとこんな感じで、蓮華座の位置が合わない。
どうも、説によると蓮華座は1つであるという話もあるらしい。
そこで蓮華座を一つで描き直すと、ほぼ全体の位置が収まる。
その線画をこの赤外線画像に重ねるのであるが、しかし墨線ではなく、線刻されたものであるから、それをどう表現するか?
幸い、東京のデジタル画像処理の専門家が協力してくれ見事、1300年前の弥勒磨崖仏は、700年の眠りから覚め、見事甦った。
コメント