私はこの本を渡された2年前に、イヤイヤ目を通した。
その時は、ネットで日月神示を検索しても、何やら「凄い預言書」らしいということは解ったが、この本にはその内容が抜粋していくつも取り上げられている。
しかしそれを読む限り「なんでこんなことが凄いと思うんだろう??」つまり、私にすれば「こんなこと当たり前の事やん!!」としか思えなかった。
どういうことかというと、私は自問自答をするから、価値観が普通の人とずいぶん違う。
世の中の「常識」は、私の「非常識」と思うものばかり・・・
その「私にとっての常識」に照らし合わせて、日月神示を読むと、「それって常識やん??」と思えてしまう。
だから逆に、あまりあの本に興味を抱かなかったのだと思う。
ただ、あの本には「大本」の「出口王仁三郎」について、結構詳しく取り上げられていたし、その「大本」が戦前弾圧を受けたことも記されていて、そこは「すごい・・・」と思ったが、その後にフリーメーソンやイルミナティを取り上げてあったが、それは私にはとても信じられなかった。
そんな感じで、分厚い本の結局半分くらいまでしか読んでいなかった。
「紅卍字会」の孫娘と繋がった時は、特に出口王仁三郎との関係の部分にしか目が行かなかった。
しかし、昨日からその本を最初からじっくり読んでいて、後半に入ると「身魂磨き」について書かれた章に気が付いた。
その章の存在こそ、私の守護霊、いゃ私をこの「画像による文化財復元」に導いた「神」が、私に気付いてほしいために今回の人生最大の試練を与えたことに気が付いた。
そして涙を流して、感謝した。
この「日月神示」は単なる終末予言の書ではないと、著者はいう。
よくある預言書は、「受ける側」に立ったものだが、この日月神示は逆の立場つまり「発する側」から書かれた筆先だという。
てな話だけを読むと、どこが違うの?と単純に思うのだが、その違いこそ、本当の「神」だからこそ我々人類、特に日本人に宛てた「教訓」なのである。
つまり、神は本当は天変地異を起こして、人類の大半を滅ぼしたいのではなく、あまりにも「宇宙の法」を無視して好き勝手にふるまう現代のわれわれに「目を覚ましなさい」という警告を発したのが、この日月神示の本当の目的であり、目を覚まさせるために多くの覚醒した人たちを我々の世に派遣し、神の存在を再度知らしめ「反省」を促したのに、まだそれでも目を覚まさない人々は、最終的に滅ぼし「ミロクの世」を作りますよという警告だと思われる。
そこが「親心」であり、「大難を小灘に変える」ことができることを、ちゃんと日月神示には書かれていて、さらにそうするには我々がどうすべきか?までちゃんと神様は教えてくれている。
それがこの章に記されている箇所なのだが
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何もかもてんし様のものではないか。それなのに、これは自分の家ぞ、これは自分の土地ぞと申して自分勝手にしているのが神の気に入らんぞ。 一度は天地に引き上げと知らしてありたこと忘れてはならんぞ。一本の草でも神のものぞ
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現在のわれわれの常識から考えると、何を馬鹿なことを言っているの?
こんな話信じられるか・・・・
と、思うだろうが、それが間違っているから、神は御魂を磨けと言っているわけである。
つまり「所有欲」など、本来人類が生まれた時にはなかった。
先日の「皆神山の謎 第四部 一厘の仕組篇」の動画にもあるが、もともと縄文人たちは、そういう「欲」を持っていなかったし、皆神山のような日本に張り巡らされた「エネルギー網」を使って、宇宙からのエネルギーを無限に得られたという。
そして欲しいものがどこにあるかも知っていたし、物流もかなり広範囲に行われ、貨幣などなくても「物々交換」でちゃんと手にすることができた。
また、その「交換」は「こころいき」によってなされていたという。
現在のわれわれからすると「貨幣」の無い世界は想像できないが、神に言わせると、あるいは宇宙人と会ったアダムスキーに言わせても、宇宙人はそんなもの必要としていないという。
つまり、ある一部の「我欲」をもった古代の人種が誕生し、彼らが「武力」を持て、人々を征服し、また本来ありもしない「所有権」を主張するようになった。
そして彼らが「貨幣経済」を作って、そして「富」を独占するようになった。
それが日月神示でいうところの「石や」、アダムスキーの言うところの「両替や」の祖先である。
本来必要のない貨幣経済が創られ、富を独占することを覚えた「悪魔」たちに、特に改心を促しているようである。
著者はいうのだが、人には誰も「曇り」や「メグリ」と呼ばれるものがある。
それは魂が輪廻転生するから、前世のものもあれば、現世のものもある。
私も11年前にであったチャネラーから「前世の行い」が、私の今の「現世」に災いしていて、それを守護霊は解き方を教えているという。
そのために彼女に縁を繋いで、私にそれを知らせてきたが、言われたことをすると少し状況が変わった。
また、当時スタジオに泥棒が入り、撮影機材数百万円分を盗まれたがその時、彼女はそれを「贖い」だといった。
そして、それは大難を小灘で済ませてもらえたといった。
そして「おかげ」とは拝めば与えられるものではなく、本来最初から与えられているのだが、それを感じられないのは、自分自身に「メグリ」があるからだという。
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苦労致さねば誠わからんなり。人民というものは苦に弱いから、中々おかげのやり様ないぞよ。 欲出すから、心曇るから、我よしになるから中々に改心出来んなり、難しいぞよ。 欲さっぱり捨てて下されよ、欲出ると判らなくなるぞ
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つまり、「欲」があり、苦労を嫌うから、神は「おかげ」を与えたくても与えられないという。
その欲が魂を曇らせているから、もっと「身魂磨き」をしろという。
私は他の人と違い、物欲も余りない人間だが、そんな私でもこれだけの厳しい試練を与えられたのだから、現代人はほとんど生き残れないのかもしれない・・・
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この道に入って初めの間は、かえって損したり馬鹿みたりするぞ。 それはメグリ取っていただいているのぞ。 それが済めば苦しくても何処かに光見出すぞ。 おかげのはじめ。 次に自信ついてくるぞ。 胴がすわってくるぞ。 こころが勇んで来たら、おかげ大きく光りだしたのじゃ
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何事が起こっても、そなたはまず喜べよ。 それが苦しいことでも、悲しいことでも、喜んで迎えよ。 喜ぶ心は喜び生むぞ。 人民喜べば、神喜ぶと申してあろうが。 天地晴れるぞ、輝くぞ
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なんと素晴らしい教えなのだろうと、その意義を理解できるように、身魂を磨けというのだから、この日月神示が「神」から降ろされたものである証拠といえる。
私は自分に与えられた試練の出口を、昨日の朝、気づかされた。
そしてこの章を読み、涙があふれて、本当に「感謝」の気持ちが湧きあがった。
何度も言うのだが、私は不思議な出来事をたくさん経験している。
そしてその原因をいつも考えてきた。
不思議な出来事が起きるということは、そこには何らかの「力」が働いているわけで、それを偶然たと決めつけたり、無視するということは、それを起こしている「神さま」のご意志を無にすることであったことを今回まざまざと見せつけられた。
不思議な出来事の動画を作ったのは、健在意識の私ではなく、守護霊か神様がそうさせたと思って、その後私の経験をブログなどで積極的に書いてきた。
それは神様がもっと、その存在をみんなに知らしめよと言っていることに気が付きから。
本当に神は存在しているのに、無信心な日本人が増えすぎた。
日本の神は、おかげも与えるが、同時に罰も与える存在であることは、今回の試練で嫌と言うほど私は知らされた。
身魂磨きのできていない人々は、いずれこの世から抹殺される時が来ると、日月神示は告げているが、それは同時に「自分次第」であり、またそれに気が付く人が増えれば、「大難を小灘に変えられる」と伝えている。
一人でも多くの人がそれに気付くように願い、私はこれらをブログに書き続けている。
(資)文化財復元センター おおくま
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