②-思い (我思う故に我あり)

昔match.comのプロフィールに載せていたもの-その5

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「四十を過ぎると変わりようがない」

この言葉は、多くの人が実感していると思う 。

だけど、本当はこれでよいのだろうか?

確かに、人は同じ事を繰り返して いると、それに慣れて疑問を感じなくなると思う。
また、慣れないことを始める と、とても疲れる。
人間楽をしたいと思えば、同じ事を繰り返していればよい。



だから、「自分に合った相手」を求める。
自分は自然体で、相手も自然体で 旨くいけばそれにこしたことはない。

しかし、世の中そんなに甘くはない・・・ ・


根っこの違う二人が、何の気遣いも無く「自然体」で、果たして旨くやってい けるだろうか?

私はそれはむしが良すぎると思う。


仮にそれが可能なら 、なぜ過去に失敗をしたのだろう・・・

多くの人は、原因は相手の浮気、相手の 借金、相手の暴力だと言う。



だから、「相手を間違えた」と結論付ける。

だ からこそ、「相手を代えれば、自分は自然体で幸せになれるはず・・・」と考える。

かく言う私だって、離婚当時はそう思っていた。

しかし、多くの人と接するうち に、相手を代える(変える)事ではなく、まず「自分を変える」事だと気づいた。


ものごとの本質は何も変わらない。

しかし、それを受け取る側の意識を変える ことで、多くの出来事は意味が変わる。


器に半分ほど入った水があるとする 。
これを、「あと半分」と考えるか、「まだ半分」と考えるか?
このたとえ 話は、誰でも理解できる。


しかし、それを自分自身に置き換え、応用しよう とするときに、多くの人は「意識を変える」方法が解らない。


ものごとには 必ず相対する存在がある。

自分の立場でものごとを考えれば、自分の考えに間違 いは無い。

しかし、逆の立場で、ものごとを考えれば・・・・逆の答えだってあ りうる。

問題はそこだと思う。

決して自分だけが正しいのではなく、「逆も また真なり」である。

つまり、それがパートナーとの関係ではないだろうか?

自分と同じ、ものの考え方を求めるより、多少違っていてもかまわない。


大事 なことは、相手を「理解する」気持ちではないだろうか。


違うものが、同じ 屋根の下で暮らせば、当然問題がおきる。

それを互いに自然体でいれば旨くいく はずも無い。

大事なことは、自分に合う相手を探すのではなく、「自分が合わせ られる」相手を探すべきではないだろうか?

互いに折れ合い、互いに歩み寄り、 互いに理解しあう。


それが時間とともに「夫婦は似てくる」と言われる要因では ないだろうか。


自分自身が、ほんの少し、ものの考え方、受け取り方を変え てみる。
それで、人生は大きく変わる。


はっきり言えることは、他人は 変えられない、そして変えられるのは自分自身だけ。

くまさん

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