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「四十、五十はハナタレ小僧」とは、奥村土牛の言葉らしい・・・
なのに、最近は「歳よりも若く見えます」が褒め言葉となっている。
中には「四十」を過ぎると変わりようが無い」と言う言葉も聞く。
僕の好きな言葉に「四十を過ぎると顔に責任がある」と言う、リンカーンの言葉がある。
しかし、オンナもオトコもそれは同じ・・・
持って生まれた美貌は、どんなに努力しようと、歳とともに衰える。
だけど、それに変わって、人生で学んだことが顔に出る。
それが中年からの魅力。
顔の変化は「自覚」の有無と深い関係が有る。
こういう「出会い系」は、メールのやり取りから始まるけど、みんな言葉と言うか「単語」に頼り過ぎていないかな・・・
単語の羅列である文章は、自分の想いがそのまま相手に正しくは伝わらない。
何故なら、人は育った環境や、受けた教育により、価値観、常識など実は「千差万別」であり、単語1つに対するイメージですら、十人十色である。
なのに、自分の思いを、単語一つ一つに込めて相手に送る。
しかし、相手はまたその単語に微妙に違うイメージを抱く。
先ほど、「四十を過ぎると変わりようが無い」と言った。
人は自分の立場でしか、ものを考えられない。
その考え方は、頭の固い人ほど、人生経験の影響を受ける。
しかし、世の中には必ず自分に対して「相対する」存在があり、また相対する価値観、相対する常識が存在する。
人は自分に都合のいいことを相手に求める。
しかし、実は相手も同じことを自分に求めていたりする。
大事なことは、「互いの違い」を理解することではないかなぁ・・・
その為には、メールのやり取りにおいても、要約や結論だけを書いても、相手にはそれは理解できない。
大切なことは「何故なのか ?」だと思う。
人はみんな違うのが当たり前、違うからこそ「相性」も存在する。
自分を解って欲しければ、ちゃんと「丁寧」に、共通イメージが湧きやすい「易しい言葉」を使い、そして「複数の言葉」に置き換えてみたり、また、イメージが偏りやすい抽象的な話ではなく、「具体例」をあげて、ちゃんと「説明的」に文章を書かないと、決して自分の想いは相手には伝わらない。
「わざわざ言わなくても判ってくれる」と思うのは、自分の単なる甘えでしかない。
自分が相手に伝えない限り、決して相手には自分の想いは伝わらない。
これは立場を変えると、自分も相手をちゃんと理解しているか?
物事は、それを発する側に責任があるのではなく、それを「受け取る側」にこそ重大な責任があると思う。
自分が相手に対して、勝手に思い込んでいないか?
勝手に決め付けていないか・・・
相手が悪いのではなく、自分の受け取り方が悪いだけ・・・
そんな事例は山ほどある。
もう一度「四十、五十はハナタレ小僧」
もっと柔軟に・・・
もっと、オトナに・・・・
くまさん
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