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最近また残念な思いをした。
「出会い系」でメールのやり取りを始めても、十中八九メールの段階で終わる。
「文字によるコミュニケーション」にははなはだ限界があり、非常に誤解が生じやすい。
しかし、残念なことに、自分が相手を誤解しているのだと、気づかないひとが余りにも多い。
最初に経験するのは、相手から届いた最初の一通だけで、相手を決めつけてしまう。
人にはいろんな面があり、そのどの部分が最初に相手と接するか・・・
その第一印象だけが、相手の全てと受け取られてしまう。
もちろんその一面を、正しく自分が受け止めて判断するならともかく、多くの人は「好み」というフィルターだけで処理される。
しかし、その好みは子供の時から死ぬまで、永遠に変わらないものだろうか?
もし今、貴女の好みで相手をえらんだとしても、「好み」と「実生活を共にする」という現実とを同じフィルターで処理しても、将来は後悔しないだろうか?
次の段階として、メールのやり取りが始まったとする。
僕は文章のやり取りって、とても難しいと思う。
例えば「赤いバラ」という「単語」があったとする。
それは「赤い」、そして「バラ」という意味を持ち、それがどういうものであるか?
生まれてから、現在に至るまでに、各自が「経験」から学ぶ。
だけど、人は「生まれ」も「育ち」も「受けた教育」も、ましては「地域」や「人種」が違えば「文化」も違う。
つまり同じ単語であっても、各自微妙に「違うニュアンス」を抱いている。
しかも、出会いを求める関係ともなると、「愛」というもっと「抽象的」な単語が出てくる。
それは、自分の「個人的な経験」や「相手との関係」において、意味するものは大きく変わる。
そんな不安定な、「単語」の羅列である文章は、もっと書き手と読み手とのギャップを生む。
その様な文章のやり取りで、果たして相手が解るのだろうか?
あえて「解る」という漢字を使う。
解るとは「理解」することであるが、物事には順番があると思う。
相手を解る以前に、「相手を知る」必要は無いだろうか?
「知る」とは、そこに自分の判断を含まない。
つまり「客観的に見ている」状態だと思う。
相手を知るためには、何よりも「情報」を必要とする。
相手がどんな人生を歩んできたか?
それは、その人の「価値観」や「考え方」、「受け取り方」に、多大な影響を及ぼす。
しかしながら・・・
多くの人は、自ら多くの情報をなかなか送ろうとしない。
果たして、そんな状況で、相手が「解る」のだろうか?
何故送ろうとしないか?それは「共通」とか「常識」とか言う範疇だと思うから、「わざわざ書かなくても・・・」相手も「同じ思い」だから「解ってくれる」と思ってしまう。
人はみんな違う人生を送り、違う価値観をもち、違う考えや違う受け取り方をする。
まずその相手に対し、「自分を知ってもらう」事が先決ではないだろうか?
その為には、自ら多くの情報を、相手に伝える事をおろそかにすれば、相手には自分の「情報」は皆無に近い。
相手は情報が無ければ、不安を抱き、そして結果として「かんぐる」事になる。
悲しいかなその結果は決してよい方向へは働かない。
立場を変えて、もし自分が相手の立場だとしたら?
相手を知らないものが、果たして相手を理解できるであろうか?
私ははなはだ疑問を感じる。
なのに、メールのやり取りにおいて、「相手が解った」と思っている人が余りにも多い。
その前に、果たしてどれだけ、「相手を知って」いるのだろう?
知るとは、自分の判断を含まない、客観的知識である。
そこを通り越して、いきなり文章で本当に相手が解るものだろうか?
僕は何度もそれを経験しているが、それは「解った」と思っている自分がいるだけで、実際の相手をちゃんと解っているとは、とても言いがたい「状況」に他ならない。
「思い込み」の産物であり、そのナカミは「現実の相手の姿」と程遠いが、相手を知らないものが、相手を理解できるはずが無い。
仮にパートナーが見つかり、生活を共にしたとき、貴女のそばにいるのは、「思い込み」の相手ではなく、「実際の相手」に他ならない。
その姿をちゃんと知りもしないで、解ったつもりになり、生活すれば将来は何が待っているのか?
いわずと知れた結果だと思う。
くまさん
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