②-思い (我思う故に我あり)

昔match.comのプロフィールに載せていたもの-その2

Views: 2

最近また残念な思いをした。

「出会い系」でメールのやり取りを始めても、十中八九メールの段階で終わる。

「文字によるコミュニケーション」にははなはだ限界があり、非常に誤解が生じやすい。

しかし、残念なことに、自分が相手を誤解しているのだと、気づかないひとが余りにも多い。

最初に経験するのは、相手から届いた最初の一通だけで、相手を決めつけてしまう。

人にはいろんな面があり、そのどの部分が最初に相手と接するか・・・

その第一印象だけが、相手の全てと受け取られてしまう。

もちろんその一面を、正しく自分が受け止めて判断するならともかく、多くの人は「好み」というフィルターだけで処理される。

しかし、その好みは子供の時から死ぬまで、永遠に変わらないものだろうか?

もし今、貴女の好みで相手をえらんだとしても、「好み」と「実生活を共にする」という現実とを同じフィルターで処理しても、将来は後悔しないだろうか?

次の段階として、メールのやり取りが始まったとする。

僕は文章のやり取りって、とても難しいと思う。

例えば「赤いバラ」という「単語」があったとする。

それは「赤い」、そして「バラ」という意味を持ち、それがどういうものであるか?

生まれてから、現在に至るまでに、各自が「経験」から学ぶ。

だけど、人は「生まれ」も「育ち」も「受けた教育」も、ましては「地域」や「人種」が違えば「文化」も違う。

つまり同じ単語であっても、各自微妙に「違うニュアンス」を抱いている。

しかも、出会いを求める関係ともなると、「愛」というもっと「抽象的」な単語が出てくる。

それは、自分の「個人的な経験」や「相手との関係」において、意味するものは大きく変わる。

そんな不安定な、「単語」の羅列である文章は、もっと書き手と読み手とのギャップを生む。

その様な文章のやり取りで、果たして相手が解るのだろうか?

あえて「解る」という漢字を使う。

解るとは「理解」することであるが、物事には順番があると思う。

相手を解る以前に、「相手を知る」必要は無いだろうか?

「知る」とは、そこに自分の判断を含まない。

つまり「客観的に見ている」状態だと思う。

相手を知るためには、何よりも「情報」を必要とする。

相手がどんな人生を歩んできたか?

それは、その人の「価値観」や「考え方」、「受け取り方」に、多大な影響を及ぼす。

しかしながら・・・

多くの人は、自ら多くの情報をなかなか送ろうとしない。

果たして、そんな状況で、相手が「解る」のだろうか?

何故送ろうとしないか?それは「共通」とか「常識」とか言う範疇だと思うから、「わざわざ書かなくても・・・」相手も「同じ思い」だから「解ってくれる」と思ってしまう。

人はみんな違う人生を送り、違う価値観をもち、違う考えや違う受け取り方をする。

まずその相手に対し、「自分を知ってもらう」事が先決ではないだろうか?

その為には、自ら多くの情報を、相手に伝える事をおろそかにすれば、相手には自分の「情報」は皆無に近い。

相手は情報が無ければ、不安を抱き、そして結果として「かんぐる」事になる。

悲しいかなその結果は決してよい方向へは働かない。

立場を変えて、もし自分が相手の立場だとしたら?

相手を知らないものが、果たして相手を理解できるであろうか?

私ははなはだ疑問を感じる。

なのに、メールのやり取りにおいて、「相手が解った」と思っている人が余りにも多い。

その前に、果たしてどれだけ、「相手を知って」いるのだろう?

知るとは、自分の判断を含まない、客観的知識である。

そこを通り越して、いきなり文章で本当に相手が解るものだろうか?

僕は何度もそれを経験しているが、それは「解った」と思っている自分がいるだけで、実際の相手をちゃんと解っているとは、とても言いがたい「状況」に他ならない。

「思い込み」の産物であり、そのナカミは「現実の相手の姿」と程遠いが、相手を知らないものが、相手を理解できるはずが無い。

仮にパートナーが見つかり、生活を共にしたとき、貴女のそばにいるのは、「思い込み」の相手ではなく、「実際の相手」に他ならない。

その姿をちゃんと知りもしないで、解ったつもりになり、生活すれば将来は何が待っているのか?

いわずと知れた結果だと思う。

くまさん

コメント

タイトルとURLをコピーしました