Views: 3
< 最初は友達から >
出会い系のプロフィールに、時々「最初は友達から・・・」と書かれている。
確かに見ず知らずの人と出会うのだから、そのほうが自然だと思える。
でも現実は、それでうまく結ばれる人は少ないと思う。
まず最初の関門は、「メールのやり取り」での誤解が生じる事。それを乗り越えるのは容易でない。
メールのやり取りをはじめた時、皆さんは言葉と言うか「 単語」に頼り過ぎていないだろうか?
単語の羅列である文章は、自分の想いがそ のまま相手に正しくは伝わらない。
何故なら、人は育った環境や、受けた教育に より、価値観、常識など実は「千差万別」であり、単語1つに対するイメージですら 、十人十色である。
なのに、自分の思いを、単語一つ一つに込めて相手に送 る。
しかし、相手はまたその単語に微妙に違うイメージを抱く。
その単語の 羅列ともなれば、そのイメージの誤差はさらに広がる。
ただ、イメージの誤差が広がるだけならまだしも、現実は「正反対」に受け取ることがしばしばある。
これは以前に会議室形式での口論を、第三者として見ていて、似たような意見を述べているもの同士が、あたかも相手は反対意見を述べているものと、勘違いしている様を何度と無く目にしている。
特に考え方が似ているものほど、微妙な部分にこだわり、相手の意見を誤解する。
よく「価値観が同じで・・」とか「感性が似ている・・・」相手を求められるが、しかしその自分の感性がどういうものなのか?
それを「具体的」に記したプロフィールはほとんどないし、またやり取りをはじめても、なかなか自分の情報を伝えない人が多い。
ものの考え方、受け取り方は千差万別であり、自分にとっての常識は、決してそのまま相手にとっても常識とはなりえない。
一番問題なのは、相手の文章を正しく理解しない人が、あまりにも多いと思う。
文章解読に「先入観」は不要である。
仮に、その関門を無事通過できて、会うことになったとする。
「友達から」というのだから、たとえばお茶でもという時に、向かい合って座るであろうと思われる。
テーブルをはさみ向き合えば、おのずと二人の距離は離れる。この最初に出来た距離を、その後縮めるのはとても難しい。
しかし、向き合うのではなく、相手の隣に座ったとしたら??
向き合うほど、距離は離れていない。
そしてその最初の距離は、その後とても意味を持つ。
同じ会話でも、距離を置いて聞くのと、耳元で聞くのと同じですか?どちらが心地よく響きますか?
ましては、時々からだの一部が触れ合うことがあれば、相手をとても意識することになる。
その「意識する関係」ってとても意味があると思う。
そして、偶然触れ合う体の一部が、次には意識して寄せ合い、そして肩に手を置き、腰に腕を回し・・・
「スキンシップ」というが、肌が触れ合うことは、実は「こころ」が触れ合うこと。
互いに「共に暮らす」相手を求めるものが、「友達からスタート」と言うのは、あまりにも大人気ないと思う。
二十歳の若者が、時間をかけて愛情を育むとしたら、それは正しい選択だと思う。
よく「過去を捨てて、二人で一からスタート」と言うが、確かに二人にとっては一からのスタートかもしれない。
しかしそれぞれには人生の経験があり、それは果たして捨てるべきものだろうか?
わたしはむしろ、それぞれの過去は「活かす」べきものだと思う。そして、それを活かしながら、新しいパートナーを求める。
ただ、凝り固まってはいけないと思う。
相手と自分は決して同じではない。
自分と同じものを相手に求めるのではなく、自分に無いものを求めるべきではないだろうか。
それらはすでに、人生の半分を終えたものとして、十分学んだのではないだろうか?
よく「からだ目当て」と誤解される方がおられるが、果たしてそうだろうか?
からだとこころは繋がっていると思う。
何よりもの証拠は、毎晩抱き合う夫婦に離婚はありえない。
抱き合わなくなったとき、こころも離れていく。
逆説的に、抱き合う関係なら、こころも繋がると考えられないだろうか?
価値観や感性と同じく、からだにも相性が存在する。
それを最後に確かめると言う考え方が、果たしてベストなのだろうか?
それらは平行して判断すべきと言う考え方も、有りだと思うが・・・
くまさん
コメント