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私は「デジタル画像による文化財復元」という仕事を始めて、すでに四半世紀を過ぎた。
もともと、「写真」を趣味と仕事としてきたのだが、好きなことについての「努力」を惜しまない性格で、また写真をやる前は「絵」を描いていた。
ただ物事に対する「拘り」が強く、「どうせやるなら・・」と、徹底的に「写実」に拘り、デッサンに励んだり、グザヴィエ・ド・ラングレ著の「油彩画の技法」と言う分厚い本を読み、古典技術にのめり込んだことがある。
しかしながら、自分のデッサン力が付いて行かず、結局は諦めて、「写真」に転向した。
以前にも書いたが、写真はシャッターを押せば、自分の感覚を活かした作品が創れる。
そう安易に考えての転向だったが、現実はそれほど甘くはなかった。
「感性」を形にするにはやはり「技術」が必要であった。
ただ私は現在の復元の技術もそうだが、写真技術に関しても、専門教育は受けていないし、またどこかのカメラマンに弟子入りしたことも無く、すべては「試行錯誤」で身に付けた。
こだわり性の私は、特に「モノクロ写真」にのめり込み、「ゾーンシステム」の研究を随分とした時期がある。
ゾーンシステムとは「アンセル・アダムス」と言う写真家が、自然界に存在する光の明暗を、写真で再現するための「現像法」なのだが、実際はその自然の諧調をストレートプリントで焼いても、決して感動的な写真にはならず、その技術とプリントテクニックを合わせて、初めて美しいプリントが創れる。
これにのめり込んでいた一時期、私はこの技術を「活かせる」様な写真を撮っていた。
そんな「写真」を飯の種にしていたのだが・・・
時代が進み、写真の世界も「アナログ」から「デジタル」へと進むにつれ、「専門職としてのカメラマン」がだんだん食えなくなり、私はパソコンを使っての「画像処理」を、「試行錯誤」で始めた。
当時、パソコンは「パワーマック」が出始めた時期で、無理して購入し、「葬儀用の遺影」の合成技術を、「試行錯誤」で試し、仕事として始めた。
それは数年独占状態が続くのだが、デジタル技術が普及しだすと、当然次は「価格競争」が始まり、結局安い業者に負けた・・・
ちょうどそのころ、私は「不思議な出来事」を頻繁に経験しだした。
それらはそれぞれ別々の出来事だったが・・・
いずれそれらの出来事が一つにつながり、「デジタル画像による文化財復元」という仕事に導かれた。
昨日話したように、「神」である「意識体」は、「自我」が望むことを叶えるというのが「神の仕事」とは考えておらず、「神の目」から見た「理想的な人生」を送らせようとする癖があるように思うのだが・・・
どうしても私を「文化財」と関わらせたかったらしい・・・・
で、もって・・・・
いくつも「不思議体験」をさせたうえで、私をこの仕事に導いた。
これって、
に
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戦後は、いろんな仕事を経験したが、求人も少ないので、自分でお菓子屋さんを始めたけど、弟たちが仕入れ値よりも安く売ったりするから、赤字が続き、そこで神様にどうしたらいいか?聞いたら・・・・
「ほら、言うことを聞かないからだ・・・」と怒られたらしい。
つまり、神さまは以前から彼女に「お代になれ」と、勧誘していたらしいが、まだうら若き娘としては、夢もあるし、断っていたらしく、その彼女が根を上げるのを待っていた様子。
ただ、私も復元の仕事に導かれたと思うのだが、自分のやりたいことの道は、最後は神さまから断たれるみたいな気がする。
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つまり、神様の仕掛けた「罠」にはめられた・・・・オイオイ
ただ・・・
砂澤たまゑさんと私の違いは、彼女は「食うに困らない」環境を与えられたが・・
私にはそれを与えてくれない・・・いゃホンマ
事の起こりは、近くの「片埜神社」で七五三や宮参りの写真を撮らせてもらっていたが、その神社から「傷んだ鳳凰を描いた板戸があり、修復したので記録写真を撮ってほしい」と頼まれ「大型カメラ」で撮ったのだが、その板戸・・・・
どういうわけか「修復」されているのに、絵の具がはげたままの状態だった。
実は私は「神の意」とは裏腹に、「文化財」や「宗教」や「歴史」には全く興味がなく、「写真」一筋の男だった・・・
どうも「文化財の修復」とは、「きれいに修正」して、元の姿に戻すのではなく、「現状維持」が原則で、「これ以上傷まないように処理する」ことらしく、その文化財の上から「筆」を加える行為を日本では「破壊行為」とみなされるらしい・・・・
そんなことも知らない、ずぶの素人をこんな仕事に導くんだから・・・・ッ・タ・クゥ・・・
で・・・
私は当時「遺影」のデジタル合成をしていたので、その撮った写真を「スキャナー」でパソコンに取り込んだ。
当時のパワーマックは「画像処理」はできたものの、現在のパソコンに比べると処理能力が極端に劣り、一寸大きな画像を取り込むのに数時間を要したくらいのレベルだったが、パソコン上で「修正」を試みた。


その修正した画像を神社の人に見せた。
すると大変驚かれた。
その時、私は「需要」があるのでは???と思ったのだが、あいにく私は「職人気質」で、物を作るのは得意だが、物を売る「営業」は大の苦手・・・・
で、その神社の人から、その板戸を「修復した」業者を紹介された。
で、彼が「復元」の話を得意先に話し、そこから下請けとして仕事が始まったのだが・・・
当時は始めたばかりで何もわからないまま、数点の復元を手掛けたのだが・・・
仕事が終わり、その費用をその業者に催促しても、「まだもらっていない・・・」というのだが、おかしいと思い、その復元先の神社に直接聞くと、「とっくに払っている」と言われる始末。
結局その紹介された業者が「横領」していたわけである。
その後は彼を当てにせず、インターネット上にHPを持っている寺や神社に直接「営業メール」を入れた。
ところが、当時のネットのスピードは極端に遅く、メールに添付した「画像」を開くのに苦労したと、ある神社からクレームが入るような時代だった。
そんな時代だったが、私は関西の近郊だけに絞って数十通の「営業メール」を入れたはずなのに・・・・
おかしなことにどういうわけか、そのメールに反応したのが、九州の福岡にある「承福寺」という禅寺だった。
つまり、その中にどういうわけか、その寺も入っていたらしい・・・
で、私は九州にまで飛んでいき、その仕事を得たのだが・・・

現状画像

復元画像
実はこの依頼された掛け軸に描かれているのは「宗像大社」の最後の大宮司(宗像家直系の宮司)の「宗像 氏貞」公とのこと。
その当時は全く気が付かなかったのだが、私が体験した不思議な出来事の一つに
というのがあり、

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で、その頃よく見かける品のいい、いつも笑顔のおじいさんがまたお参りに来ていた。
ある時、嫁さんとそのおじいさんが、なんか話をしているわけ・・・・後で聞くと、かなり「不思議な話」だった。
どうもそのおじいちゃんは近くの人で、ある時寝ていると、枕元に髪が立つ、チャウ!!神が立つんだって・・・
何度も何度も神が立ち、そして「高千穂へ行け」と告げるという。
枚方から高千穂って、北海道に行くようなものかぁ・・・おじいさんは行ったことが無いから、途方にくれた。
すると、すぐに知人が高千穂へ行くことになり、一緒に連れて行ってもらったとの事。
で高千穂神社に着くと・・・・
そこに白髪白髭のおじいさんが立っていて、そのおじいさんに「三ヶ月前から待っていました」と言ったらしい。
どうもその人が言うには、そのおじいさんに「老人の為のユートピアを創れ」と神が言っているらしい・・・・
とはいっても、そのおじいちゃん、多少の私産は有るけど、とてもそんな大金は持ち合わせていない。
帰ってから、また神が枕元に立った・・・
今度は「4つの神社に参れ・・・」「それらはこの仕事の為に、違った力を授けてくれる」と言ったらしい。
その4つの神社は九州の「宗像大社」、奈良の「大神神社」、長野の「諏訪大社」、そして地元の「片埜神社」・・・
それぞれに違った力を授けるという。
それで、そのおじいさんはよくその片埜神社で見かけたわけ・・・
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と、いう不思議な経験をしているのだが・・・
その4つの神社の一つが、この掛け軸に書かれている「宗像大社の最後の大宮司」である「宗像氏貞公」の墓のあるお寺だった。
つまり、「神」である意識体は、この時もシンクロニシティを起こし、関西の社寺にしか「営業メール」を入れてないはずなのに、その中にこの福岡にある「承福寺」を紛れ込ませていたわけだ・・・・
くまさん
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