昨日facebookで、ある動画と巡り会った。
「1700人の教え子たちが亡き先生へ捧げるハカ、その踊りの迫力に圧倒される」http://grapee.jp/72640
最初は「ハカ」と言うから「墓」の事かと・・・
いゃ、全く無関係ではないのだが。ハカとは、ニュージーランドの原住民の戦意を盛り上げるための踊りで、高校で数学と体育を教える教師が、そのハカも教えていた。
その教師が亡くなり、葬儀の車の前で、教え子1700人が、そろってハカを踊り、その教師を見送ったという。
その踊りの息の合っていること、そして教え子たちの悲しげな表情。
まさに尊敬できる「恩師」に対して見せる振る舞いだと思う。
今の日本にそれに値する教師が、果たしてどれだけいるだろうか?
私はデジタル画像として文化財を復元している。
文化財保護と言えば、研究者や文化庁でさえ「物質」として保護することを考える。
しかし「文化財」と言う特殊な物質など存在しないし、作者の意図や思いが、文化的に高く、それを「形」にしたもの、あるいはそれを「記録」した物質を意味する。
つまり、本当の価値はその「ナカミ」こそ、残すべきもの、伝えるべきものである。
しかしながら、なぜ昔の人の思いやあるいは技術を残さなければならないのだろう。
単純に人は現代の方が科学が進歩し、生活は楽になり、明らかに現代の方が「進歩」し、そして「優れている」と思うだろう。
だったら・・・
そんな古臭いものなど、残すのは無意味だと言える。
ところが、現実は、よく言われることだが、千年以上前に建てられた寺の五重塔などを解体修理すると、明らかに現在より優れていたという。
しかしおかしいと思わないか?道具も現代のものの方が、精密に作られているはず・・・
なのに、当時の人はそれを差し引いても余りある技術を持ていたし、また精神性を持っていた。
それを弟子に受け継がせるのに、今のように「教える」という事をしなかった。
「教える」のではなく、自ら「学ぶ」ことの大切さを、身を以て学ばせた。
それが現代は死語と化してしまった「徒弟制度」であるが、まず叩き込まれるのが「辛抱」と言う言葉。
辛抱できなければ、何を教えても途中で挫折する。
むしろ辛抱することを教えこめば、「技術」など、教えなくても自然に身に着く。
現代の日本の教育制度は完全にこれと逆行している。
そしてさらに現場の「教師」の質は、代を追うごとにどんどん低下していると私は思う。
そんな教師に「知識」を教えることはできても、「人を育てる」ことはできない。
現代の子供は「自分の頭で考える」そして「自分の価値観で判断する」ことを、教えられていない。
教育制度の問題もあるが、それ以上に現場の教師そのものが、自分で考えられない、自分で判断できないものが、教壇に立っている以上、その教師を超える次の世代を支えるべき人材は、決して生まれてこない。
私は自問自答する。
すると答えの自分の中から返ってくる。
これこそ「自分の頭」で考え、自分の頭で「答」を出すという事であるが、こんな私にもただ一人「恩師」と呼べる人と出会えた。
その人の話を、ずいぶん以前に書いた文章で紹介する。
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僕には人生で影響を受けたヒトが何人かいる。
いい意味でも「反面教師」としても、自分がそこから学ぶ気が有れば、いくらでも学べる。
僕に一番影響を与えたヒト、そしてその人との出会いが無ければ、間違いなく今の自分はいないと思う。
僕は高卒である。
しかも、アホの集まる職業高校の卒業である。
だけど・・・
その高校の美術部は、僕が在籍していた頃、大阪府下の百何十校という高校の中で、ベストテンには入っていた。
元々絵を描くのが好きで、アホだから普通校にはいけないし、そこに「デザインコース」と言うのが新設されて、そこへ入った。
すぐに美術部に入ったんだけど、動機は不純だったと思うよ・・・
早い話が、例えば花瓶に入ったバラの花なんかきれいに描けたら、女の子にもてるだろうなぁ・・・っう程度だったと思ったりする。
で、最初はそんな動機だけど、僕は根が真面目で・・・・・イャホンマ
毎日、クラブに行っていたわけ・・・
同期に同じ中学をでて入った友達がいて、実は彼のほうが絵は旨かった「はず」。
ところが余り顔を出さない・・・
で、2年生になって、真面目がとりえの僕は部長になった。
実は当時、夏休みに大阪府下の百数十校が集まって、天王寺美術館で「高校展」と言うのをやっていた。
そこでは優秀な高校ほど、作品を展示する壁面の割り当てが多いわけ・・・
それが僕の時代にベストテンに入っていた。
で、僕は真面目なんだけど、顧問の先生は余りクラブに顔を出さない・・・
美術の先生で、当時でも小柄で男勝りで、授業中騒ぐ男子生徒に「ばかもーーーーん、でていけぇ・・・」と怒鳴るくらいの先生なんだけど、ほとんどクラブには顔を出していなかったわけ。
で、僕は絵を描いたから見てくださいと、職員室に呼びに行くと来てくれる。
で、先生は僕の作品を見て・・・
僕の製作意図とは、まったく関係ないところを褒めてくれたりする。
その姿を見ていると・・・
「なんや、この先生、何にもわかっていない」と思ったわけ・・・・
作品なんて、自分の「思い入れ」をいっぱい詰め込むのが、当然だと思っていたわけ・・
そして、それは「見ているヒトに伝わるもの」だと思っていたわけ、わけぇもんで・・・・
それを、この先生はなんにも解かっていないと思ったわけよね。
その姿を見て「アカン・・・」「こんな先生をあてにしていたら、高校展でいい成績が取れない」「しゃーないから、部長の僕が頑張るか!!」と発起したわけ・・・
で、僕は部員を引っ張ったわけ・・・
で、夏休みも終わり、高校展では、ここ数年先輩の努力もあり、成績が上がって壁面数が増えていた。僕はその年に賞を貰ったし、クラブとしても評価された。
で、卒業して数年たったある日「フト」気がついたことがあるわけ・・・
それはその顧問の先生のこと。
ひょっとしたら・・・と思ったんだけど、当時先生がクラブに余り顔を出さなかったのは「自主性」を育てる為・・・
作品を見て、まるで違うことを言ったのは・・・実は「作品なんて、見るヒトによって見え方が違うんですよ」と暗に教えてくれたのでは?
と、気がついた。
高校生の頭では考えられないことだけど、歳とともに、「一言」の重みが違ってくる。
もう一つ先生から当時言われた言葉で「謎の一言」がある。
「絵なんて・・・描かなくっても旨くなりますよ・・・・」
まったく謎であった・・・
だって、当時一生懸命デッサンに励み、いっぱい描くから絵は上達するわけやん??
そう思っていたわけ・・・
でもねぇ・・・ホントはちがうんよ、テクニックがいくら上達しても、ヒトには「感動」は与えられないっう事。
作品って、「自己表現」でしょう?
早い話が、表現すべき事故の・・またちごた、「表現すべき自己の質」なんよね、大事なのは・・・
言い換えれば、ヒトの「ナカミ」の問題だと言うこと。
それは何も絵をかかなくったって、色々なものから学べるし、その結果が絵に出るわけ・・・
さっきの「絵なんて、見るヒトによって色々代わりますよ」ということも、まさに「人生そのもの」だったわけ・・・
同じ一つのことを取ってみても「受け取り方」が違えば、結果も違う・・・
で、ぼくはそのとき学んだのは、作品は「思い入れを詰め込む」モノじゃないと言うこと。
いくら自分の思いを詰め込んでも、決して相手に伝わるものじゃない・・・
じゃ、作品って何なの??と考えると「客観視」だと思ったりする。
自分で作った作品を「第三者の目」で見てみること・・・
すると、思い入れの詰まったものは、見ていてしんどい・・・
でも、「いろんな受け取り方」が出来るくらいさらりとしたものほど、見ているヒトは自分なりにイメージを膨らませることが出来る。
逆にその感想を聞いて「なるほど・・・」と自分自身にフィールドバックするわけ、僕は・・・
そう言う先生の一言が僕を変えたと思う。
で、その先生と僕が30歳を過ぎてから、仕事の件でお付き合いを再開したことがある。
僕が高校時代でもすでにおばあちゃんだったけど、その当時その先生は大阪の私立短大の理事長をされていた。
もう70歳は過ぎていたと思う・・・
その先生に、僕は言ったわけ・・・
「先生から、昔こんなことを言われました」とさっきの話をしたら・・・
その先生、なんと返したと思う??
僕はそれを聞いてさすがだと思った。僕が恩師と仰ぐヒトだと思った。
「そんなこと、ありましたっけ・・・」
ただそれだけ・・・
この一言の重みは解かるヒトにしか解からないわけ・・・
実はその先生、当時高校では美術を教えて、夜間にその短大で「哲学」を教えていたわけ・・・
そう言う裏地を持ったヒトだから、言えたんだよね・・・
けっして「やっと解かりましたか?」ではなく、「それは、貴方の受け取り方なんですよ・・・」と言う言葉が裏にあるわけ・・・
その先生、それから10年くらいかけて、今度は4年制の大学を作り、そこの学長と、短大の理事長をかねている。
とうに80歳をこえて・・・
まさに「四十・五十はハナタレ坊主」
くまさん
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