- 【恩師のはなし】
- 2006年05月27日09:25
これはこの前書いた「恩師の話」なんだけど・・・
この前書ききれなかった部分があるから、長いけどとりあえず読んでみて!!
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僕には人生で影響を受けたヒトが何人かいる。
いい意味でも「反面教師」としても、自分がそこから学ぶ気が有れば、いくらでも学べる。僕に一番影響を与えたヒト、そしてその人との出会いが無ければ、間違いなく今の自分はいないと思う。
僕は高卒である。
しかも、アホの集まる職業高校の卒業である。
だけど・・・
その高校の美術部は、僕が在籍していた頃、大阪府下の百何十校という高校の中で、ベストテンには入っていた。
元々絵を描くのが好きで、アホだから普通校にはいけないし、そこに「デザインコース」と言うのが新設されて、そこへ入った。
すぐに美術部に入ったんだけど、動機は不純だったと思うよ・・・
早い話が、例えば花瓶に入ったバラの花なんかきれいに描けたら、女の子にもてるだろうなぁ・・・っう程度だったと思ったりする。で、最初はそんな動機だけど、僕は根が真面目で・・・・・イャホンマ
毎日、クラブに行っていたわけ・・・
同期に同じ中学をでて入った友達がいて、実は彼のほうが絵は旨かった「はず」。
ところが余り顔を出さない・・・
で、2年生になって、真面目がとりえの僕は部長になった。
実は当時、夏休みに大阪府下の百数十校が集まって、天王寺美術館で「高校展」と言うのをやっていた。
そこでは優秀な高校ほど、作品を展示する壁面の割り当てが多いわけ・・・
それが僕の時代にベストテンに入っていた。で、僕は真面目なんだけど、顧問の先生は余りクラブに顔を出さない・・・
美術の先生で、当時でも小柄で男勝りで、事業中騒ぐ男子生徒に「ばかもーーーーん、でていけぇ・・・」と怒鳴るくらいの先生なんだけど、ほとんどクラブには顔を出していなかったわけ。
で、僕は絵を描いたから見てくださいと、職員室に呼びに行くと来てくれる。で、先生は僕の作品を見て・・・
僕の製作意図とは、まったく関係ないところを褒めてくれたりする。その姿を見ていると・・・
「なんや、この先生、何にもわかっていない」と思ったわけ・・・・
作品なんて、自分の「思い入れ」をいっぱい詰め込むのが、当然だと思っていたわけ・・
そして、それは「見ているヒトに伝わるもの」だと思っていたわけ、わけぇもんで・・・・
それを、この先生はなんにも解かっていないと思ったわけよね。その姿を見て「アカン・・・」「こんな先生をあてにしていたら、高校展でいい成績が取れない」「しゃーないから、部長の僕が頑張るか!!」と発起したわけ・・・
で、僕は部員を引っ張ったわけ・・・
で、夏休みも終わり、高校展では、ここ数年先輩の努力もあり、成績が上がって壁面数が増えていた。僕はその年に賞を貰ったし、クラブとしても評価された。で、卒業して数年たったある日「フト」気がついたことがあるわけ・・・
それはその顧問の先生のこと。
ひょっとしたら・・・と思ったんだけど、当時先生がクラブに余り顔を出さなかったのは「自主性」を育てる為・・・
作品を見て、まるで違うことを言ったのは・・・実は「作品なんて、見るヒトによって見え方が違うんですよ」と暗に教えてくれたのでは?
と、気がついた。
高校生の頭では考えられないことだけど、歳とともに、「一言」の重みが違ってくる。もう一つ先生から当時言われた言葉で「謎の一言」がある。
「絵なんて・・・描かなくっても旨くなりますよ・・・・」
まったく謎であった・・・
だって、当時一生懸命デッサンに励み、いっぱい描くから絵は上達するわけやん??
そう思っていたわけ・・・でもねぇ・・・ホントはちがうんよ、テクニックがいくら上達しても、ヒトには「感動」は与えられないっう事。
作品って、「自己表現」でしょう?
早い話が、表現すべき事故の・・またちごた、「表現すべき自己の質」なんよね、大事なのは・・・
言い換えれば、ヒトの「ナカミ」の問題だと言うこと。
それは何も絵をかかなくったって、色々なものから学べるし、その結果が絵に出るわけ・・・さっきの「絵なんて、見るヒトによって色々代わりますよ」ということも、まさに「人生そのもの」だったわけ・・・
同じ一つのことを取ってみても「受け取り方」が違えば、結果も違う・・・
で、ぼくはそのとき学んだのは、作品は「思い入れを詰め込む」モノじゃないと言うこと。
いくら自分の思いを詰め込んでも、決して相手に伝わるものじゃない・・・じゃ、作品って何なの??と考えると「客観視」だと思ったりする。
自分で作った作品を「第三者の目」で見てみること・・・
すると、思い入れの詰まったものは、見ていてしんどい・・・でも、「いろんな受け取り方」が出来るくらいさらりとしたものほど、見ているヒトは自分なりにイメージを膨らませることが出来る。
逆にその感想を聞いて「なるほど・・・」と自分自身にフィールドバックするわけ、僕は・・・そう言う先生の一言が僕を変えたと思う。
で、その先生と僕が30歳を過ぎてから、仕事の件でお付き合いを再開したことがある。
僕が高校時代でもすでにおばあちゃんだったけど、その当時その先生は大阪の私立短大の理事長をされていた。
もう70歳は過ぎていたと思う・・・
その先生に、僕は言ったわけ・・・
「先生から、昔こんなことを言われました」とさっきの話をしたら・・・その先生、なんと返したと思う??
僕はそれを聞いてさすがだと思った。僕が恩師と仰ぐヒトだと思った。「そんなこと、ありましたっけ・・・」
ただそれだけ・・・
この一言の重みは解かるヒトにしか解からないわけ・・・実はその先生、当時高校では美術を教えて、夜間にその短大で「哲学」を教えていたわけ・・・
そう言う裏地を持ったヒトだから、言えたんだよね・・・けっして「やっと解かりましたか?」ではなく、「それは、貴方の受け取り方なんですよ・・・」と言う言葉が裏にあるわけ・・・
その先生、それから10年くらいかけて、今度は4年制の大学を作り、そこの学長と、短大の理事長をかねている。
とうに80歳をこえて・・・まさに「四十・五十はハナタレ坊主」
くまさん
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