「デジタル画像による文化財復元」という言葉は、多くの方にとって、耳慣れない言葉だと思う。
もともと「写真」の仕事を長年やってきたが、デジタルの普及は、写真をはじめ印刷関係などで、多くの専門職を奪う形となった。
約17年ほど前にPower Macintoshが登場し、写真の世界ではデジタルが普及し始め、写真画像をパソコンで修正できるようになると、露出を間違えた下手な写真も、修正次第で見違えるようになったり、難しかった写真の合成が可能となった。
その技術を用い、当時、葬儀で使う「遺影」の合成を始めた。
日本の遺影は、もともと顔写真を大きく伸ばし、着物は「着せ替え」と言って、絵描きがエァーブラシを用い描いていた。要するに顔は「写真」であり、着物は「絵」であるが、違和感をなくすために、顔の部分もずいぶん修正され、結果として「描かれた遺影」という形で、田舎では鴨居の上に並んでいた。
それがデジタル技術を用い、写真のまま合成できる時代となった。
当時まだデジタルでの遺影を手掛ける業者は、全国でも稀であったが、数年後「薄利多売」の業者が現れ、受注は、じり貧となる。
約12年前に新しい需要を考えていたとき、地元の神社から、修復に出された古い「鳳凰を描いた板戸」の記録撮影を頼まれた。依頼されたのは大型カメラによる撮影であるが、修復されたその板戸は、痛々しく絵の具の剥げたままであった。
そこで撮影した画像をMacに取り込み、Photoshop のスタンプ機能を用い、絵の具の剥げた部分をきれいな部分と置き換え、修正した。
絵の具が剥げた鳳凰の姿は、パソコン上で見事に綺麗に甦った。
それをプリントし、神社の方に見せると、大変驚かれ、また感心された。
その時、こういう需要があることに気付いたが、さりとて営業の方法が分からない。
そこで神社から紹介された、その板戸を修復した業者の話では、「見えないものを見たいという、要望は多い」と言われ、初めて「赤外線撮影」について調べ、そして試行錯誤でテストを何度も繰り返した。
2年ほど掛けて、ある程度技術が出来、その修復業者と組んで営業を開始した。
その後、その業者と別れ、ホームページを立ち上げ、インターネット上で営業活動を行ったが、DMメールを送った社寺の一つから、復元の仕事を得た。
DMメールは、全国に及ぶと実際には仕事ができないと思い、ネット上にHPを出されている関西の社寺を中心にメールを出した。
ところが、どういうわけかその中に福岡のお寺が混じっており、そのお寺からの返事だけが返った。
●デジタルアーカイブ
博物館や美術館や公文書館において、文化資源をデジタル化して保存することが1990年台の中ごろから始められた。
物質は必ず劣化するが、デジタルデーターそのものには劣化がなく、「現状」の姿を、デジタル化し、後世に伝えるために行われる。
●復元模写
デジタルが普及する以前は、絵師が肉眼で細部を確認し、肉筆にて復元を行った。
●デジタル画像による復元
デジタルアーカイブが「現状」の姿を残すのに比べ、デジタル画像を用い、当時の姿を「推定復元」するもの。
朽ち果てた姿と化した文化財は、肉眼で見えるもの以外にも、「赤外域」や「紫外域」などの肉眼では確認できない部分にも、多くの痕跡を残しており、それらは「写真画像」として「視覚化」することができる。
それらの情報には、それぞれ特徴があり、それらの違いをアニメのレイヤーの様に重ね、画像処理を加え、当時の姿を画像として復元する。
(資)文化財復元センター 大隈 剛由
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