勝手神社 奉納額

  

かれこれ、6~7年前の話である。

インターネットの当社のホームページに問い合わせを頂いた。

問い合わせを頂いたのは、山梨県にある「勝手神社」の関係者であった。

全国に「勝手神社」は二つしかなく、その一つで、武田信玄所縁の神社だという。

行ってみると、びっくりするほど小さい。鳥居も石の小さいものがあり、山梨県の指定文化財だという。

到着して境内に車を止めたが、人の気配はない。

小さい拝殿があるが、宮司は常駐されていない様であった。

しばらくすると、関係者が数人あらわれ、依頼主は地元の中小企業の会長で、この勝手神社の世話人であり、一番多くの寄付をしている人であった。

拝殿の中には、かなり大きな奉納額があり、その中身はほとんど読めない。

いつもなら「氏子総代」が集まり、資金繰りを話し合い、決定をするが、日本では全員一致が原則なのか?一人でも反対すると決まらない。

ところが今回は「費用はわしが出す」と、スポンサーの会長が居られるので、すんなりと決まった。

ものは高さ1メートル、幅3メートルもある額だから、本来なら大阪までの輸送が問題となる。

ところがこ の会長の会社の、出入りの輸送会社の大型トラックをチャーターして、運んでくれた。

  

ものをスタジオに運び込み、撮影にかかったが、このころからデジタルカメラを使い始めていたが、何分1200万画素のカメラであるから、1枚撮っただけでは情報量が足らない。

  

そこで今回初めて「分割撮影」を試みた。

理屈で考えれば分割撮影した画像を繋げばきれいに繋がる、はずなのだが・・・・

デジタルの世界はそんなに甘くなかった。

  

画面が重なるようにずらして撮ってあるにもかかわらず、その重なる部分がビタッと合わない。

そこを無理やり繋ぎ、結局は100枚ほどの写真を繋いで、土台のベースとなる画像を作った。

  

で、墨は薄れているが、赤外線でとっても何も写らない。

やむなく、文字の一つ一つを拡大撮影し、書き起こしていった。

この作業、3人で手分けし、最後は徹夜をしながら1か月半掛かった。

で、僕は主に撮影を担当し、当時二人の女性スタッフがいた。

一人は美大を出ていて、もう一人は自称「お茶の水の落ちこぼれ」である。

この二人が、辞書を片手に、一文字一文字確認しながら書き起こしてくれた。

  

僕は7割の文字が読めればよいと思っていたのに、彼女たちは、ほぼすべての文字を読み取った。

しかも、その漢文を訳し、注釈までつけ報告書を作ったが、そこに書かれていたのは、幕末のころに「天狗党」を迎え撃つように幕府から命令された「求玄流」という砲術の一派の物語であった。

  

勝手神社 現状
現状画像
勝手神社 奉納額 復元画像
復元画像

  

  

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