先月の3/20に私用があり山梨に行ってきました。
その途中に韮崎にあるうちで復元しました「求玄流・奉納額」のある「勝手神社」に寄り、写真を撮ってきました。
「勝手神社」は全国に3つしかなく、ここはその一つですが、小さな神社で、現在は無人の神社となっています。
現在の石の鳥居の手前に非常に小さな鳥居があり
山梨県の指定文化財となっています。
ここは、石碑には記されていたのですが、記録してくるのを忘れたので、はっきりとはいえないが、何かの合戦のときに、武田信玄が陣をはり、勝利を収めたと記されています。
そんな由緒ある神社ですが、どうも元々この場所より少しはなれたところに有ったらしい。
そこに小さな拝殿があり、その中に3メートルもある大きな奉納額がずいぶん以前からあったと、地元の人が言われていたが、いつ頃の物かは定かではないと、復元当時言われていて、ましては書かれている内容がほとんど読めない状態であり、何度もここは水没しているらしく、かなり痛んだ状態でした、当時のその額は。
で、かろうじて読めたのは大きな字で「求玄流」と書かれた文字くらいでした。
当時、地元へ行って確認したときは、数人の「氏子代表」の方と、その神社のスポンサーとでも言うべき、地元の企業の会長さんが居られてその会長さんが「金を出すからやってくれ」と言われて実現した復元でした。
現在はこういう風に並べて拝殿に飾られていますが、拝殿にはガラス戸がはめられ、鍵が掛かっているので、中に入って見ることは出来ません。
その額は幕末期に、「天狗党」が幕府直轄のこの地を通り京へ上ろうとしていて、それを阻止するように幕府からの命令を受け、その砲術の「求玄流」の門下生八十余名が大雨の中陣をはり、待ち受けるが、敵は迂回して戦うことなく、全員無事帰還できたことを感謝し、この「勝手神社」に奉納されたものであったと言うことが、うちの「復元」により判りました。
詳しくはホームページ内に報告書もありますし、復元例もありますので、そちらでお確かめください。
(資)文化財復元センター おおくま
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