別れた嫁さん

【別れた嫁さん】

これが、ひとめぼれで結婚した嫁さん。

当時僕はプロラボでカラー写真を焼く仕事をしていたんだけど、趣味で「踊りの写真」を撮っていた。

元々「アングラ舞踏」と呼ばれる、舞台を撮っていたのをきっかけに「民族舞踊」の写真を撮り始めた。

綾はインドの「シタール」と言う楽器を知っているかな??

もう亡くなっているけど、「ラビシャン・カール」と言う大先生がいて、この先生の弟子のひとりにビートルズのメンバーが居たり、綾は「ウッドストック フェスティバル」って知ってるかな?

似たようなもので「バングラデシュ救済コンサート」と呼ばれるものがあり、その中心人物が、その人だったらしい・・・

それくらい、音楽業界にも影響力のある人だったんだけど、彼は各国に一人しか弟子を取らなかったらしい・・・

その日本人の愛弟子が、当時「大阪」に住んでいて、知り合って、「インド舞踊」などを撮り始めた。

それから、朝鮮舞踊・バリ舞踊・日舞・バレェ・そしてフラメンコ・・・・

嫁さんとは「バリ舞踊」で知り合ったんだけど、実はもっとフラメンコを長年やっていたらしい・・・

まぁ、その性格はこの前書いたし、結婚して7年目だったかなぁ・・・

突然「別居」することになった。

僕もフリーのカメラマンで、嫁さんもフリーの「デコレーター」で、嫁さんの実家で母親と同居していたんだけど、二人とも稼ぎが悪く、「生活費」も家にあまり入れられなかったし、嫁さんは「母親想い」だから、どちらかと言うと夫婦の時間より母親との時間が多かったり・・・

いろいろ問題があり、結局実家を追い出されたわけ・・・

で、近くに家を借りたんだけど、ある日突然、家に帰ったら、嫁さんと子供が居なくなっていた・・・・

理由は嫁さんは母親と言うか「家」というか、3姉妹の真ん中だけど、家を継ぎたかったらしいけど、母親から僕らは追い出されたわけ・・・

その時、僕は突然の嫁さんの家出は、「嫁さんのわがまま」だと思っていた。

前に話したように、僕もあまり仕事が無かったけど、その分嫁さんのディスプレイの仕事の手伝いなどしていたんだけど、嫁さんはフリーだから入ってきた仕事はするけど、自分から積極的に営業活動もしないし、暇なときは趣味のフラメンコや着物を創ったり、絵をかいたり・・・・

つまり綾が言うように「お金を稼ぐための仕事」を積極的にしなかった。

だから、嫁さんのわがままで、僕のせいではないと思っていたけど、嫁さんの妹から「頭を下げてあげて」と言われ、歯を食いしばり涙を流しながら、僕は頭を下げて謝った。

そう、僕は決して自分で謝ったり、頭を下げたりしない性分なんよ・・・

嫁さんは簡単に口では「すみましぇ・・・・ん」ともっともらしく謝るけど、何度も何度も同じ過ちを繰り返す。

僕は謝るくらいなら、謝らなくてもいいように努力するタイプ。

そこが性格の不一致だったわけ・・・

結局やり直したけど、うまくいかずに離婚した。

くまさん

カテゴリー
③とある女性とのやり取りの記録
シェアする

コメント

タイトルとURLをコピーしました