②-思い (我思う故に我あり)

偕老同穴(昔ばなし)

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もうずいぶん前になるが、出会い系でやり取りをした人が、好んで「偕老同穴」と言う言葉を使った。


馴染みのない言葉ではあるが、Wikipediaによると「共に暮らして老い、死んだ後は同じ墓穴に葬られること。転じて夫婦の信頼関係が非常にかたいことを意味する。」とある。

昨今「婚活」なる言葉も、巷ではブームらしい・・・

中年になり、この様な場で新しい出会いを求める。


かく言う私もすでに10年来、こう言う場を彷徨っている。

ブームともなると、便乗したがるサイトも増えれば、また安易に出会いを求める人々も増える。

しかし、出会いは安易に考えれば、安易に終わりを迎える。

プロフィールを読むと、相手と楽しい一時を過ごしたいとある。

なるほど、それは素敵な出会いだと思うが、しかし人生って果たして常に楽しい事ばかりだろうか?
共に暮らせば、当然嫌な面も見えてくるし、苦しい時期だって過ごすことがあるはず。

もう一度、「偕老同穴」と言う言葉の意味を見て見ると、「共に暮らして老い」とある。
つまり、長年共に暮らす事が、夫婦の信頼関係を深めるものと思われる。

言い換えれば、長年連れ添えば、よい事、悪い事、そして楽しいときも、苦しいときも常に一緒。
苦楽を共にするから、相手を理解でき、そして信頼の絆も深くなる。

だとすると、中年のもの同士が、今からまたパートナーを求めるとしたら、果たしてその人とどれくらい長く、共に暮らせるだろうか?

少なくても、一生の半分以上を別々に生きてきた。
その人の生い立ちも、家族も、環境も、そして受けた教育も、はたまた過ごした半生は、万人みな違う。

人は「常識」と言う言葉を好んで使うが、実は常識とは人それぞれ歩んだ人生によって、みな持ち合わせたものが違う。

自分にとっての常識は、相手にとっても常識とは言えない事が多々有る。

これから出会い、そして互いを「知る」ためには、それぞれの生きてきた半生を、相手に伝える必要は無いだろうか? 自分がこれから共に歩む人の過去は気にならないだろうか?

それぞれの過去は、無関心であることより、「共有」してこそ、別々に生きた年月を埋め、これから先の二人の人生を有意義にしてくれる。

「信頼関係」とは、相手を知るところから始まる。

また「自分らしく」、あるいは「素のまま」と言う言葉も多く目にする。

もちろん互いがそうあれば理想かもしれないが、現実は違う半生を生きたものが、互いに我を通せば、ぶつかる事も多い。

しかし本当に、「自分らしい」とは果たしてどういうことだろうか?

無理をしないこと、楽であることが、自分らしいのではなく、人は常に周りの影響を受けるし、また人生において多くを学ぶ。

そうすると、無理をしないことが自然な事ではなく、常に向上心を持って、変わり続ける事こそ、「成長する自分らしい」と言えないだろうか?

夫婦の信頼関係って、相手が信頼できる人であれば実現するのではなく、同時に自分が相手から信頼される人間である必要がある。

どうも、出会い系のプロフィールを読むと、そこのところが欠けている人が目に付く。

相手に多くを求めるのではなく、まず自分が相手になにを与えられるか?

また、相手から何を学び、そして相手にどんな影響を与えられるか?

そういう「進化する関係」こそ、これから先の短い人生で、信頼の絆を深める最善策では無いだろうか?

その部分から考えないと、「偕老同穴」とは程遠い結果が待っていると、私は思う。


くまさん

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