②-思い (我思う故に我あり)

人生で「学ぶ」コツ・・・・

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「精神世界」を長く旅すると、いろんなことを学ぶ・・・

その前に、ちょっと話が変わるが、先日「共時性-1」

で「次元」の話をした。

0次元 = 点

1次元 = 線

2次元 = 面

3次元 = 立体

仮に「点・線・面」に、我々「3次元世界」を「現実世界」と思っている人間の様に、それぞれ「意識」があったとする。

私は先日

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つまり「因果律」とは、「原因」があって初めて「結果」が現れることを指し、それは「3次元意識」でも理解できるが、しかし「共時性」はその枠を超えているという。

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と、話をした。

あるいは

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「精神世界」でよく言われることだが「神を理解することはできない」と言われることがある。

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とも言った。

つまり、「点」は「線」を理解できないし、また「線」は「面」を理解できないということになる。

ただ・・・


3次元の感覚器官である「5感」の外に、「第6感」があるのだが、それを我々はうまく説明できない。

つまり「第6感」とは、「3次元より上の感覚」であろうと思われる。

でもそれは「肉体」という3次元の物質に備わったものとはいいがたい。

同じように「精神世界」も3次元外・・・・・

いゃ、「3次元より上」の世界といえる。

「精神」とは物質を伴わない・・・・

巷の常識として、「人間は脳で考え・脳で記憶する」と教えられてきた。

ところが、精神世界ではよく「臨死体験」が話題になる。

経験者は口をそろえて「現実世界よりリアル・・・・」だという。

にもあるのだが、

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著者はアメリカのトップクラスの脳神経外科医なのですが、ある日突然彼は体調を崩し病院に運ばれ、6日間の意識不明を経験した。

その間、完全に脳死の状態であったにもかかわらず、彼はその間の出来事を記憶しており、また彼はその間に天国と思われるところを体験したという。

彼自身、脳神経外科医であり、唯物論者だったので、その間の出来事を自分自身が一番信じられなかったらしいが、自分が臨死体験をしたということは、それを世の中に知らせる責任があると思い、本を出したとの事。

つまり、脳で意識が創られるものでないことを彼は記したのだが、彼自身臨死体験で、この物質世界は幻であり、意識こそが自分の本当の姿だと実感したという。

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つまり、「脳外科医」の本人も、「記憶」とか「意識」とかいうものは物質である「脳」に備わった機能ではないと・・・・・

それが「精神世界」なのだということ。

要するに人間の本質は「肉体」ではなく、「魂」であり、魂は物質を伴わないし・・・・

同じように「意識」も物質を伴わない・・・・

このことは私の仕事である「文化とは人の精神的な営み」であり、「文化財とはそれを形に、あるいは記録したものである」という話と、ピッタリと一致する。

このことが理解できないと「精神世界」は理解できない。


今、巷では「あせんしょん(次元上昇)」が話題になっている。

どういうわけか、3次元から4次元を通り越して、いきなり「5次元」に行くらしい????

なぜそうなるかは、私には理解できないのだが、少なくても5次元は「精神世界」に一歩踏み込んだ世界だと思われる。

ここでまた話は少し変わるが、宇宙で一番大事なものは「意識」だといわれている。

その最高位は「宇宙の創造主」であり、我々はそれを「神」とか「仏」とか呼んでいる。

で、その宇宙の創造主は、「宇宙のすべて」を生み、そしてコントロールしている。

私が「神とは何ぞや??」と「自問自答」して、返った言葉は「神とは宇宙の星の運行プログラムのようなもの」というのは、まさにそれを意味している。

で、宇宙には我々地球人より、何億年も前に生まれ、「進化」した「知的生命体」が数多く存在する。

彼らは進化するたびに「次元」が上昇しているらしく、上に上がるほど悪意が薄れ、「善意」が強くなるらしく、我々の様に「我欲」にまみれ「RV・GCR」で、他人より「富」を得ようなんてなことは考えなく、「世のため・人のため」いゃ「宇宙のため」に、我々低次元の地球人の「次元上昇」の手伝いをしてくれている。 彼らのことをたぶん仏教用語では、「弥勒」とか「阿弥陀」とか呼ぶ存在だと思う。


だから・・・・


「日月神示」では「弥勒の世」が来るとか、あるいは「弥勒下生」といいう言葉がある。

で・・・・

魂は「輪廻転生」して、数多くの「人生」を経験するといわれ、それは「膳・悪」両方を体験するといわれているのだが、その数多くの中でいろんなことを「学び」そして魂は磨かれるらしい・・・・・

ただ・・・・

問題なのは、一つの出来事から「多くを学ぶ者」と「学ぼうとしない者」がいる。

そんな人生の繰り返しの中で、それらは大きな差となる。

意識の低い魂は「楽」を好む・・・・

意識の高い魂は「苦」を「試練」だと思い、それに耐え、乗り切ろうと努力する。

私はその後者のタイプだと思う。

で・・・・

やっとここで、タイトルの「人生で学ぶコツ」の話になるのだが・・・・

人はそれぞれ違った人生を経験する。

当然「違った」学びもあるのだが・・・・

問題なのは、ここで「他人は変えられない」「変えられるのは自分自身だけ・・・」という話が出てくる。

「自分を変える」とは、「へぇんし~~~ぃ~~ん・・・・」と言って「別人」になるわけじゃなく、単に「受け取り方」を変えるだけ・・・・

にもあるように、「他人の意見」や「自分を取り巻く出来事」の「受け取り方」を変えるだけ・・・・



つまり、物事を「良く」解釈するか、あるいは「悪く」解釈するか???



単にそれだけの違いである。

別な言い方をすると「肯定」するか「否定」するか・・・・

否定したものからは何も学べないが、肯定したものからは多くを学べるということ。

物事を「どう受け取るか?」は、自分でいくらでも変えられるけど、しかし他人を変えることはとても難しい・・・・・

つまり「自分でコントロール」できるものを「変える」だけで、「人生で多くを学べる」

私は「精神世界」の本から多くを学んだのだが・・・・

実はその後は、本ではなく「映画やテレビドラマ」から、それ以上の学びを得ている。



「文字によるコミュニケーション」より、「視覚」からの「学び」のほうが格段に多い。



人は人生から多くを学べるのだが・・・・・

今生においては「一つの人生」しかない。



しかし「他人の経験談」も、自分の「疑似体験」と思えば、学びは深くなる。



同じように「ドラマ」も、娯楽として楽しみ終えるより、「自分の疑似体験」として受け取れば、そこから多くを学べる。

そんなわけで、私は「読書感想」の続きとして、「映画・テレビドラマ」からの学びを多く綴ってきた。

くまさん

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