②-思い (我思う故に我あり)

亭主関白

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ずいぶん昔の話だが、「さだまさし」の「関白宣言」が世を賑わかせていた時代がある。

調べてみると「1979年」となっていて、すでに半世紀近く前のことである。

私もまだ若かったが、この唄、ヒットはしたものの逆にずいぶんと批判の対象となっていた。

巷には「ウーマンリブ」なる言葉が流行語となっていた時期だが・・・・

しかしその前から言われていた言葉に「戦後強くなったのはオンナと靴下・・・」なんてな言葉もあったよな・・・・

でもこの唄、Wikipediaの中に

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結婚を前にした男が相手の女性に向けて「亭主関白」となることを宣言しつつも、自分のもろさや弱さ、相手への深い依存心をのぞかせ、不器用な愛情を吐露していく、という内容をコミカルに歌い上げている。発表されるや否やその歌詞をめぐって女性団体などから「女性差別」、「男尊女卑」と反発を受けるなどの騒動となった。当時この歌は普段は歌謡曲を買わない層に訴えた部分が大きく、慣れない姿で買いにくる客が多かった。題名もよく間違えられ、「亭主関白」や、「関白音頭」と呼んでレコードを買いに来た客もいたという。

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と書かれているのだが、彼のユーモアを解しきれない女性から「男尊女卑」だと受け取られたらしい・・・

と、前置きが長くなったが、ネットを見ていると「九州の男は最低!!」と思っているオナゴがとても多い。

かくいう私も生まれは九州の福岡県である。

大阪で半世紀以上暮らし、性格的にはホンネの大阪人に近いのだが、しかし自分で言うのもなんだが「情が深く」「おせっかい」なところがある。

「情(じょう)」とは何ぞや???という話なのだが、ネット上の辞書にあるのだが、簡単に言えば「おもいやり」「まごころ」「なさけ」などのことであるが、これらはすべて相手に対価を求めない「無償の愛」といえる。

つまり「損得勘定」のあるものは「情」とは呼べない。

あるいは「お返し」を期待しているのなら、それも「情」とは言えない。

で、先ほどの「九州の男は亭主関白」で「九州のオンナはかわいそう・・・・」と思っているオナゴがネットを見るとかなり目に付く。

ただ・・・・

私は常に言うのだが、ものは受け取り方で意味が180度変わるということ。

つまり「九州の男は亭主関白で最低・・・」という考え方から見れば「九州のオンナはかわいそう・・・」という話になるが、物事には「裏」と「表」あるいは「立場の違い」という問題が常に存在する。

私は離婚後「出会い系」で、500人を超える女性とメールの交換をしている。

その中で多くを学んだのだが、離婚の原因は「相手が悪い」と思っている人が大半なんだけど・・・・

かくいう私もその一人だったんだが、離婚の原因は片方だけにあるのではなく、必ず「双方」にあることに気が付いた。

オトコにはオトコの「言い分」があり、オンナにはオンナの「言い分」があるのだが、残念ながら「巷」の人々には「相手の立場で考える」ということが、ほとんどできないらしい・・・・

九州男児である私も「情が深い」が、「九州のオナゴ」も負けず劣らず「情が深い」人が多い。

この「亭主関白」を「九州のオナゴ」の立場で考えられるかな?

言ったら悪いが「薄情者」の現代のオナゴには理解不能かもしれないが、「情」とは「おもいやり」「まごころ」「なさけ」つまり相手に「見返り」を期待しない「無償の愛」なんだよね・・・・

つまり見返りを期待して相手に尽くすのではなく、「してあげたい・・・」という、それは「苦痛」ではなく「歓び」なんだけど、これって見方を変えると「悦び」でもあるんじゃないかな??

つまり「してあげる」という行為で、本人も「悦」になることもあるわけよ・・・・

それを第三者である「薄情者」から見ると、「苦痛じゃないか?」と勝手に解釈しているに過ぎないんよ!!

つまり、情の深いオナゴと情の深いオトコの世界では、それは「互い」に相手のことを思いやる行為ともいえるんよ・・・・

物事って、受け取り方を変えると、意味がまるで違うんよ!!

くまさん

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