●甦った虚空蔵菩薩
法輪寺の復元した板絵に描かれた虚空蔵菩薩は、「求聞持法」という荒行で使われたものらしい。
復元は、本来あそこまでの完成を目指したものではなく、残された痕跡だけで復元画像を作った。
ところが副住職は、仕上がりを芳しく思っておられない様子。
こちらも自分たちの技術を高めるために、さらに3か月かけ、あそこまでの復元結果を得た。
その後、現物の板絵も修復に出され、上がったことを機に「法要」が営まれ、ABC朝日放送が取材に来て、夕方のニュースの特集として流された。
その法要当日に、復元画像は掛け軸として一般公開された。
ずいぶん大きくて、立派な掛け軸であった。
その後、わが社も簡易のタペストリーを作り、スタジオで展示したり、インテックス大阪での中小企業の展示会などでも展示している。
その展示会の初日、多くの来館者があったのだが、その時、不思議なことが起きた。
他の来館者とわが社の展示スペースで話しているとき、年のころ30代と思われるスーツ姿のサラリーマンが、この虚空蔵菩薩のタペストリーを見た途端、わが展示スペースに入り、いきなり「拝ませてほしい」と言い出した。
いきなりこんな言葉を聞くと、何が起きたのか?一瞬わからなかったが、彼はその言葉を発するや否や、ネクタイを緩め、ワイシャツの胸のボタンをはずし始めた。
そして、なんとそのワイシャツの下から大きな数珠を取り出し、手に持ちお経を唱え始めた。
こちらは唖然としていたのだが、彼は在家信者だと言い出した。法輪寺の虚空蔵菩薩像の話を知っているらしいが、拝み終えると、名も告げず、名刺もおかずに、人ごみの中に立ち去った。
何かの冗談だと思っていたのだが・・・
しかし、それにしてはおかしい。
たかが、復元画像をタペストリーにプリントしただけのものである。
仮に法輪寺で法要された立派な掛け軸なら、「拝ませてほしい」と言われるのも、わからないわけではない。
なのに、彼はなぜあれを拝みたいと思ったのか??
その後、ずいぶん僕はそのことを考えた。
その結果としていえるのは、仮にあのタペストリーに描かれた虚空蔵菩薩像に魂が宿っているとしたら・・・
それは、立派な掛け軸だろうが、簡易のタペストリーだろうが、同じ魂が宿っているのではないのだろうか?
つまり、一般的な仏画のレプリカなら、「本物」があり「複製品」がある。
だから魂は本物にしか宿らないと考えるのが自然であるが、この復元に関しては、本物と言えるのは「朽ち果てた板絵」である。
しかし、魂は永遠だとするならば、その魂は、「デジタルデーター」という、物質を伴わず、朽ちることのない「器」へと乗り移ったと考えられないだろうか?
そう考えるのが自然だと僕は気が付いた。
だとすれば、デジタルデーターそのものに魂が宿っているとしたら、そのデーターから出力されるすべての姿に、同じように魂が宿っていると考えられないか?
そうすれば、サラリーマンがタペストリーを「拝ませてほしい」と言ったことが、説明できる。
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