この復元という仕事を始めて、すでに12年が経つ。
その間に中国への話は何度かあったが、いまだ実現していない。
今年の2月に京都府の展示会に、
上海からの視察団が来た。
そのメンバーの一人が、うちの仕事に興味を示した。
しかし、通訳を通して短い時間でのやり取りで終わり、彼女は名刺を残した。
翌日その彼女の関係者から資料がほしいと言われたので、直接上海の事務所へ送った。
ところが、その名刺は古いものだったらしく、送ったパンフレットは「所在不明」で戻されてきた。
たまたま、東北の津波のニュースを聞いた中国のメル友から連絡が入った。
そのメル友は確か同じ上海在住のはず・・・
そのメル友に事情を話すと、そのメル友は、視察団員として来日したそのコンサルタントの女性の会社を突き止め、資料を渡してくれた。
<%image(20111224-2011_12240136.jpg|600|450|その後、互いに言葉が通じないまま、「翻訳ソフト」で情報をやり取りし、そのコンサルが新潟に仕事できた帰りに、わが社へ寄って、直接話をした。
彼女は、現在はコンサルタント会社の社長であるが、元は大学で歴史を教えていたという。
彼女は文化関係のイベントなどへ、積極的に自腹を切ってでも企画し実行しているらしい。
上海の文物局には、元大学の同僚が多いらしく、まさに「人脈」を持っているとのこと。
やはり中国人は日本人と考え方や価値観が大きく違い、心配であったが、彼女は「文化」を大事にする気持ちを持ち、僕と気持ちが一致し、今後中国での窓口となってもらうことで、話は収まった。
(資)文化財復元センター 大隈 剛由
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