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ゼウスの法廷

最近ブログにあまり書き込みをしていないが、facebook上には直接いくつかのネット配信の映画の紹介をしてきた。

理由は以前に多くの作品を紹介してきたが、その時にモニター画面を撮影し、その画像とその作品から受けた自分の思いを紹介してきたが、作品を見入っているとどうしても、画面の撮影がおっくうになる。

今回久しぶりにこちらにネット配信の作品の紹介をするのだが、一つの配信サイトではどうしても見たいものが尽きてしまい、現在はいくつかのサイトを渡り歩いているのだが、先日からまたHuluを見始めた。

その中で本日「ゼウスの法廷」と言う作品を見た。

実は私は10年ほど前にもいくつもの本人訴訟を起こした経緯があり、その半分以上に勝訴している。

で、実は去年の秋に交通事故で愛車が廃車に至った。

その損害賠償の訴訟と、また仕事上のトラブルから別の損害賠償訴訟を起こしている。

以前と違い、現在ネット上には、政府も検察も警察もそして裁判所でさえ、「正義」が存在しないと言われている。

それをひしひしと感じながら、現在裁判中であるが、どうしても裁判所は「前例」を重んじるらしく、ここの訴訟内容を詳しく調べようともせずに判決を前例から導き出そうとする。

それをひしひしと感じながら、この作品を見たのだが・・・・

内容は若き裁判官の元婚約者が、刑事事件の被告となり、その裁判官も苦境に立たされるが・・・

その裁判所の先輩で「風鈴の会」と言うものを創っていた人が、裁判に被験者の気持ちを反映させたいと、裁判官を辞め、弁護士となる。

また別の裁判官は検察に出向して、その元婚約者の検事を担当し、もう一人の裁判官を辞めた先輩はその元婚約者の弁護を引き受けた。

本来なら、その若き裁判官はその裁判に関わらないはずだが、彼は裁判官を辞める決意を持って、元婚約者の裁判官を申し出る。

かくして、同じ裁判所の3人は、立場を変え、その元婚約者の裁判で顔を合わせるのだが・・・

裁判官は被告人である元婚約者に、その婚約者に対する気持ちを訪ねる。

彼女は正直にその元婚約者である裁判官に、素直を気持ちを伝えるのだが、最終的に裁判官は被告を無罪とする。

それに反発する裁判所の上司に向かい、「私は裁判所が最高裁により支配されていることを学んだ」とはっきりと法廷で言い放つ・・・

これを見ていて、久しぶりにこういう作品で涙がこみ上げ、感動した。

確かにほとんどの裁判官、検察及び警察は権力の手下と化しているが、どんな世界にも反発しそれをただそうとする人びとは存在する。

(資)文化財復元センター おおくま



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