以前にどなたかが、facebookでウルグアイのムヒカ大統領のスピーチにリンクを張っておられ、それを読みシェアしてことがあり、このスピーチの話、実は1年ほど前にも、聞いたことがあり、その時は「いいな・・・」と感じたくらいだった。
が、しかし最近思うところがあって、スピュリチァル関係の本を何冊か読んでいる。
そのいくつかは、共通した思考が根元にあり、「宇宙」という言葉が頻繁に使われ、そして「創造主としての神」が、我々人間を神の複製物として創った。
しかし、人は宗教の枠の中に、違った神の姿を創り上げた・・・・
そんな人間に、時たま直接的に「創造主としての神」は話しかけてくる。
そのメッセージを本にしている人が、何人もいるようで、その内容は我々人間社会の矛盾点をずいぶんとついているように感じる。
いくつかの本は、その神の言葉の「こたえ」の部分だけを記し、理屈は必要ないと説明されない。
ところがわたしの性分として、人の話は鵜呑みにできない。
「なぜ?」という疑問が解決されない限り、わたしは梃子でも動かない。
その疑問を、だれにでも解る形で、執拗に説明されているのが「神との対話」のシリーズなのだが、しかしそこで神の言われることは正しいと思うのだが、だとしたら・・・
それをごく一部の一般人に話し、それを当人は本にする。
それを読んだ多くの読者は、感銘を受けたり、それを応用して自分は幸せを得る。
それはそれで構わないのだが、じゃそんな一人一人が、今の世の中を変える力が、あるいは意思が本当にあるのか?
そう考えた時、いささか疑問が残る。
つまり「創造主である神」が目指す、真の人間の幸せの世界を実現するには、どうしても「政治」の力を借りねばならない。
にもかかわらず、肝心な神はなぜ政治家に働きかけないのか?
と、それが疑問だったのだが、このウルグアイのムヒカ大統領の思考は、明らかに「宇宙の創造主である神」の啓示を受けていると思われる。
わたしも文化財の復元を手掛け、その価値は「なかみ」だと言い続けているのだが、人は決して進化などしていない。
科学偏重の現代社会は、むしろ逆に一人一人の人間の持つ能力を退化させている。
だからこそ、過去の優れたものから、朽ち去るままに任せるより「叡智」を甦らせ、次の世代へと受け継ぐことの重要性を訴えている。
話をムヒカ大統領に戻すのだが、有名なリオでの演説の日本語訳が http://hana.bi/2012/07/mujica-speech-nihongo/ にあるのですが、さらにその裏付けとしてのインタビューが http://hana.bi/2012/09/mujica-interview-nihongo/ にも記されている。
まったく同感であるが、彼のような、「宇宙の創造主のとしての神」の啓示を受けた政治家が、もっと世界中にあふれた時、真の革命がおこると私は思う。
(資)文化財復元センター おおくま
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