②-思い (我思う故に我あり)

とある出会い系で出会ったヒトに返したメール(ずいぶん昔の話)

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< パートナーという存在 >

少し話が難しかったかもしれない。

 
果たしてえりさんは、自分を客観視できただろうか・・・
 
 
 
僕は何も、自分と同じ考えを相手に強要しているわけでも、ましては同じような思考の深さを相手に求めているわけでもないわけ・・・
 
なのに、何故えりさんをはじめ、出会い系に集うその他大勢の人に対して、僕はあんなことやこんなことを、自分のプロフィールに書き続けているのだろう??
それを書くことで、僕の売り込みになるのだろうか?
 
それは、ネットの出会い系の利用者の大半が、「安易」に出会いを考えているから・・・
もちろん、最初は僕もそのレベルだった。

だけど・・・

多くの人とメールのやり取りをし、多くの人生を知ったし、またそこから多くを学んだ。
なのに、ほとんどの人は「離婚」と言う、人生最大の失敗から何も学ばない人が多すぎると思う。

自分は悪くないから、相手を他の人と変えれば、自分は何の苦労も無く幸せになれる・・・・
 
最たるものは「赤い糸」の人に出会う。
そして、チャーミィグリーンの老夫婦の様に、手をつなぐ事に憧れる。
 
 
だけど、これらは「結果」に過ぎないわけ。
結果は「過程」が有って、初めて生まれるやん??
 
つまり、自分が何かの行動を起こす必要があるわけ・・・・
 
黙って待っていれば、「棚から牡丹餅」のごとく「赤い糸」の人が降って来る訳でも、最初から「以心伝心」の人が目の前に「私が貴女の赤い糸の人です」と、名札を下げて現れるわけでもないわけ・・・
 
すべては、「自分の努力」で、探し当てたり、あるいは何度も修羅場を乗り越えて、初めて意思の疎通が出来る関係になれたりする。
 
それも、若いころから長年連れ添った夫婦ならともかく、この歳で、これから探そうとしたとき、いかに「短期間」でその関係を築くか?
並大抵の努力じゃないはず・・・・
 
なのに、みんなは「安易」に考えすぎていると僕は思う。
 
僕はそんなみんなに少しでもそのことに気がついてほしい・・・・
そうしないと、決して幸せな再婚は出来ないと思う。
 
僕が求めている人は「ただ一人」に過ぎないわけ・・・
その人は少なくても、そのことに気がついていてほしい。
 
そして、貴女をはじめ、多くの女性に幸せになってほしいと、僕は心から願うから、こんな話を書き続けている。
 
えりさんはプロフィールに「私=向上心が強く、目標に向かって一生懸命 努力する。」と書いているよね?
確かにその通りだと思う。
だからこそ、今の貴女の地位がある。
 
でも・・・
 
ここで、もう少し冷静になって将来のことを考えてみようよ?
 
貴女は次の人生に向けて「リタイア」しようと計画しているよね?
そしてそのためには、「さみしがりや」の自分に寄り添い、見守ってくれるパートナーが欲しいと思っているよね?
 
でも、悲しいかな、いまだに仕事に貴女は追われていると見え、片手間に「自分のペース」で相手を見つけたいと望んでいると、僕は察した。
 
でも・・・・
それは、少し矛盾を含んでいるわけ・・・
 
先日も話したとおり、忙しいときにパートナーの存在はうっとうしい・・・・
だけど、逆に貴女は「さみしがりや」だと言う。
すると・・・
 
貴女がさびしい思いをしているときに、パートナーが「忙しく」していて、かばってくれなかったら?
貴女はどう思うだろうか・・・・
 
どんなに互いが忙しくても、少なくても「心の片隅」に相手の存在がある。
そうあるべきではないかと、僕は思う。
 
そして「偕老同穴」とはまさに、そういう関係になるのに、時間が掛かるわけ・・・・
最初から「以心伝心」で、隣に座れば相手の考えが解るほどあまくない。
 
そうすれば、残り少ない人生だからこそ、時間を無駄には出来ないと僕は思う。
 
また・・・
「オトコとオンナは勢い」と言うように、時間をかけて少しずつ距離が縮まるものではなく、そのタイミングを逃せば、逆に離れていくことになるわけ・・・
 
最初が肝心なんよ・・・
早く会って、早く始める・・・それが秘訣だと思う。
 
 
貴女は努力家で、目標に向かい、努力を惜しまないはず・・・
貴女の次の人生はすでに始まっていて、ぼやぼやしていては赤い糸の人を取り逃すかも知れない・・・・
 
精一杯、自分のもてる力を振り絞り、努力すべし。
 
 
また、貴女は「尽くすタイプ」と言う・・・
そのことについて、先ほども書いたけど、尽くすと言うことを誤解している人は多いと思う。
 
自分が「相手にしてあげたいこと」を、相手にすることを「尽くす」と思っている人が多い。
 
だけど・・・
僕は違うと思う。
 
そうではなく、「相手が必要としていること」を、見返りを求めず提供することが、「尽くす」と言うことじゃないかなぁ・・・・
じゃ、それは一方通行で、尽くすタイプは 損することになる・・・
そうじゃなく、相手に見返りを求めない代わり、自分自身の気持ちの「満足感」が得られるはず・・・
それが「尽くす歓び」だと僕は思うし、僕の中にもその気持ちがある。
 
 
ただ・・・
それらはどちらか一方が尽くすだけで終わるより、「互いに」相手のために一生懸命になれれば、「尽くす歓び」と「尽くされる歓び」を二重に味わえないだろうか??
 
僕はそんな人を求めているわけ・・・
 

くまさん

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