実はまたエハン塾がらみの話なのだが、エハン・デラヴィ氏が情報について「神々の指紋」と言う本の話が少し出た。
で、彼はその著者と対談した本を出しているらしい・・・
で、エハン・デラヴィ氏はその著者はまともだと言っている。
なので、Amazonで上下をまとめて古本で買った。
ついでにそのレビーを見ると「歴史じゃない、ロマンだ・・・」と書かれていたり、かなり批判的なものが多い。
で、実は昨日からその本を読み始めた。
なかなか発想がユニークで面白い・・・
軽く斜め読みをしたのだが、その著者は「提示」しているだけで、こうだと断定はしていないように感じた。
そこで、もう一度ネットでその評判を見ると、確かにそれぞれの人が「自分の見解」を持ち出して、彼の説を否定する。
だけど、私は思うのだが、例えばインカの遺跡のあの精巧な石積みは、現代の技術を持っても不可能だろうと思う。
そして、インカ人には実はそんな技術がなかった・・・
と、すれば、それ以前に別の文化の存在を考えるのが、当然だと思う。
で、彼の説を批判する人は、結局その文化について結論を持っていなかったりする。
つまり否定はできても、自説を持たない・・・・
その話はまた別にするとして、実はその本を検索していると、どうもテレビ番組でその話を取り上げたらしく、その録画に失敗したからダビングさせてくれと、あるサイトに投稿したらしい・・・
すると、そこで「ダビングにおける著作権云々」について、カンカンガクガクと始まった・・・
それを読んでいたのだが、やれ法的にどうの?とかいう話になって、各自自分の考えの正当性をやり合うわけだ・・・
それが延々と続き、また横から割り込むものも出てくる始末・・・・
余りにも長々とやっているもので、途中で読むのをやめたのだが・・・・
私がこの件で言いたいのは、「各自自分が正しい」と思っていること。
そして、その反論に対しては「攻撃された」と感じて「反撃」体制に入る。
これの繰り返しを延々とやっているわけだ・・・・
そこで、エハン塾でエハン・デラヴィ氏は「情報の見方」として、三角形を書き、左下が「+」でマスコミの流す情報、右下が「-」で、それに対する反論とする。
そして、各自はその三角形のトップを「ニュートラル」として、各自の判断にゆだねるべきだと言う。
私もそう思うのだが、しかし大事なことは各自が本当に「中立」としての判断基準を持っているか?
と、いう事になり、そのためには各自がもっといろんなことを学ぶ必要があると思う。
で、今回のビデオのダビングの論争は、要は三角形の「+」と「-」の部分でしかない・・・
にも関わらず彼らは「自分が正しい」と主張して譲らない。
だけど、どちらが正しいか、あるいはどちらも間違っているかは、第三者が判断すべきことだと思う。
意味の無い議論を自分の正当性を主張するために、延々とやっている姿を「客観的」に見ると、結果として「どっちもどっち・・・・」
としか思えなくなってきた。
(資)文化財復元センター おおくま
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