この本は先日またエハン塾で取り上げられていたものである。
エハン・デラヴィ氏は動画の中で、著者はユングの「集合的無意識の世界」を「魂」と言う言葉を使い、説明した人であると言う。
また、人は前世というか、霊的世界と言うのか?において、自分が生まれるべき、夫婦を探し、そして現世での人生の設計図を自ら書き、それにしたがってこの世に生まれてくると、この本には書かれていると言う。
私はこの部分に興味がある。
つまり高橋信次も同じことを言っているのだが、まず魂が母親になってくれる人を探して、その人の元に行き、「母親になってください」と頼むと言う。
それを承諾するか、断るかは母親になる人も本人が生まれる前に、「霊的世界」で決められると言う。
そうすると、人の一生は何代も前から決まっていることになる。
で、問題なのは、自分がこの人生で学ぶものを自分で決め、そしてそのための節々の出来事もプログラミングをしたうえで生まれてくるらしい。
しかしながら、生まれた途端にそれを忘れるようにプログラムされているものだから、現世で物質世界に浸り、ちょっと楽をすると本来の自分の学びを忘れ、自分がプログラミングした節目の苦労を、「なんでこんな目に合うんや!!」と不満を抱く。
そうして、その人生が終わるときに、果たして予定していた「学び」のいかほどが実現しているのか?
死を迎えた時に、それを自ら知るわけだ・・・
そして魂はまた、つぎの生まれ変わりの準備に入る・・・・
高橋信次はそんなことを言っているのだが、実はシスター鈴木秀子は、翻訳した「死んで私が体験したこと―主の光に抱かれた至福の四時間」と言う本は、脳死を経験した人の体験談だが、そこで見たことが、まさに高橋信次の話と一致しているようである。
そんな事もあり、この本を楽しみにしていたのだが、いざ読み始めると・・・・
「ちょっとなぁ・・・」と言いたくなった。
つまり、例えば鈴木秀子さんの本は、とても優しい言葉を使って「解りやすい」文章なのだが、ちょうどその逆をイメージしてもらえばよい。
とは言っても先日の「死者の書」ほどは難解ではないものの、例えば学術書などを読みなれた学のある人なら、スラスラと読めるのだろうが、私のような、アホの行く高校しか出ていない者にとっては、なんというか「ことばの言い回し」ばかりで、何かを説明しようとしているようで、簡単には言わんとするところが判らない。
しかもページ数は多いわ、文字は詰まっているわ・・・・
一つの章が長いわ・・・・
と、なかなか先に進めず、また半分を読んでいない状態である。
たぶん、一度読み終えたら、もう一度読み直さないと、理解できない代物の様である。
(資)文化財復元センター おおくま
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