この本も「神」についての検索である。
実は作者である「アイリーン・キャディ」は、キャロラインメンスの「7つのチャクラ」の例として出ている。
平凡な主婦であった彼女は5人の子供と主人のもとを去り、神の声に従い別の男と暮らし始める。
そしてフィンドホーンと言う場所で、友人も含め3人で、狭いキャンピングトレーラーで暮らし始める。
そして毎晩公衆トイレで瞑想し、神の声を聴いた。
それらを集めた本であるが、著者は1950年代からそんな生活をして共同体を築いた。
彼女の言う「神」とは、自分の内にあるもので、その「内なる声」が聞こえ始めて、人生が狂い始めた。
私も自問自答をすると「内なる声」が答えをくれる。
しかし、そんなに声が聞こえるというほどでもないし、「なんとなく」そう思うと言う程度のものだから、彼女の瞑想すると内なる声が聞こえるということには、とても興味がある。
今から50~60年ほど前に、彼女が受け取って『神からの教え』をまとめた本だが、確かに書かれていることは「霊的」な話でとても役立つと言うか、キャロラインメンスなどの言っている「待つこと」「人の理解を超えている存在」「ゆだねる」などの共通点を持つ。
たしかにこの本を読んで人は、そんな学びを得られるだろうが、しかし何の苦労もなく本当にそれが得られるだろうか?
つまり著者もこの教えを得るまでにずいぶんと苦労をしている。
私も似たようなところがあるのだが、そこにたどり着くまでの試練を乗り越えなければ、本当にそれはえられるだろうか?
今朝も易占で神とけんかしたのだが、私は自分が納得できないと梃子でも動かないところがある。
だからこそ、なぜそうなるの?をしりたい。
なのに、理由も告げられず、ただ待てとか、委ねろと言われても、なかなか素直に従えない。
しかし、説明され納得できれば、逆に積極的に従う意思はある。
つまり「納得できる理由」を得たいわけだが、易経のことばだけではそこまで伝わらない・・・・
たぶんこの著者も最初はその「内なる声」に素直に従えなかったはず・・・
それがどうして従う気になったのか?
そこが知りたい・・・・
それがわかれば、私も納得できるような気がする。
でもこの本には、そうなるまでの経緯は触れられていない。
そこで別に「フィンドホーンの花」と言う、彼女の自伝を注文した。
(資)文化財復元センターおおくま
コメント