②-思い (我思う故に我あり)

「無言の帰宅・・・・」

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“行間”を深読みできない人が急増中…「無言の帰宅」の意味、なぜ分からないのか|話題の焦点
「無言の帰宅」が話題になっていた。発端は大バズリしたこんなXのポスト。9月25日に投稿されたものだ。〈「行...

今朝、X上にこの記事のリンクがあった・・・・

タイトルとしては「“行間”を深読みできない人が急増中…」と言う事なのだが・・・・

私は今のインターネットが普及する前に、「パソコン通信」というバーチャルネットでの「コミュニティ」が、もう40年ほど前に始まったのだが、その創世記から私は参加していた。

で、「写真フォーラム」という会議室で、サブシスをしていたのだが・・・・

文字によるコミュニケーション」は始まったばかりのころ、参加者のほとんどは大都市のパソコン関係の仕事をしているか、あるいは「アマチュア無線」の経験者が多かった。

まず、顔を知らない者同士の会話となれば「〇〇です」とか「××します」という、俗にいう「です・ます」調の文語体の会話が主流だったが・・・

当然、ナカミは「タテマエ」の話が多かったが、関西育ちの私としては、物足らないので「関西弁」を使った「口語体」での「ホンネトーク」を始めたら・・・

メンバーも「方言」を使いだして、話が弾むようになった。

で、最初は人数も少なく「同志」とでも言おうか、趣味が同じと言う事は、考え方も結構似ているのだが、その後メンバーもうなぎ上りに増え始めると、「考え方」が違うメンバーも増え始めた。

ある時「バカチョンカメラ」という言葉が昔はあったのだが・・・

あるメンバーが何気なく「バカチョン」という言葉を使った。

すると他のメンバーが「バカチョンとはなんだ!!」と嚙みついた。

写真の世界では当時「誰にでもチョン!とシャッターを押せば、写せるカメラ」をそう呼んでいたのだが・・・

それが「差別用語だ!!」と言い出すものが出た。

少し話は変わるが、先日「馬鹿」と言う語源について知ったのだが・・・

バカチョンとは朝鮮人を馬鹿にした言葉だ!!」と言う事らしい・・・

挙句の果てが「踏まれたものの痛みがわかるか??」とまで言われたのだが・・・

じゃ、そう言ったものは「踏まれた立場か??」と聞くと、本人は違うという。

これもおかしな話で、よく「他人の痛みがわかるようになりました・・・」と言う言葉を聞くが、実は「常識」と言う言葉と同じで、「万人共通」ではない。

同じように、「S・M」が存在するように、「痛み」と「快感」も紙一重・・・

人によって違いがあるのに「他人の痛み」なんて、神経が繋がっていない限り、分からないはず。

で、この話・・・

何を意味するかというと、「カメラ談義」の中で「バカチョンカメラ」という話をしているのに、「差別用語だ!!」と言い出す方が間違っているわけだ・・・

私は、そんな会議室での多くのやり取りや、出会い系での500人を超える人とのメールのやり取りから、多くを学んだのだが・・・

文字によるコミュニケーション」には、限界があると言う事。

特に「SNS」による「短文」でのやり取りは「誤解」が生じやすい・・・

要するに「自分の気持ち」を「言葉」にして伝えても、「読む側は違う受け取り方」をすると言う事。

そのことが「短文」でのやり取りに慣れた、「現代人」の「ほとんど」の人は気が付かないと言う事。

つまり、この記事で言う「行間を読む」とは、まさにそのことなんだよ・・・

私はそのことについて、何度も「警鐘」を鳴らしてきたが・・・

その最大の原因は「スマホ」の普及だと思う。

ネット情報は「真実」も「」も存在するが、逆にみんなが信じている「報道機関」も実は「都合の悪いことは報じない」し「平気で嘘をつく」・・・

そんな報道機関からすると、「ネット情報」は目の上のたんこぶである。

でも未だに「大型テレビ」に映る「情報」は信じられるけど・・・・

小さな「スマホ」に映る「短い情報」って、信じがたかったりする。

それは、最終的に、「自分の受け取り方」によって、「意味」が大きく変わると言う事。

つまり、その責任は「自分自身」にあることに気が付かないと・・・

これから3次元の「物質界」から、5次元の「精神世界」に次元上昇中なのに、おいて行かれるぞ!!

くまさん

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