先日、「海猿」のシリーズをYouTubeで見た。
ダントツ、このドラマの「霊的レベル」の高さに感動したのだが・・・・
生憎どうしても「海猿・3」だけは見つからなかった。
普通ならそこで諦めるのだが、どうしてもこのシリーズを全部見たいと思い、とうとう「DVD」を買った。
とはいっても、いつもAmazonで古本を買うのだが、今回それで「中古DVD」を買ってしまった。
Wikipediaには海猿のシリーズのストーリーも書いてあり、あらすじは解っていたが、それでも「霊的レベル」を感じてみたく、衝動に駆られてしまった。
で、いつもYouTubeを見ていると、テレビドラマでも映画でも「音楽」とセリフがかぶっているところは、「無音」となるのでそれが残念だったが、さすがにDVDだとちゃんと音が聞こえる・・・
別にその部分がどうということではないが、この「海猿」を見てどうして「霊的レベル」の高さを感じるのか?
前にも書いたが、この手のドラマはどうしても男女の恋愛か、あるいは「SP」のシリーズのようにアクションに重点が置かれている。
特に「SP」などは、国会占拠などと、大掛かりな設定で、ハラハラドキドキはさせてくれるが、いくらSPが要人擁護の仕事で命をはっていると言っても、結局は銃を持ち、撃ちあったり、殺されたりと言う話になり、「人の命」を守っている割には、人の死を平気で見世物にしている。
ところが「海猿」は「救援活動」と言う、事故などに巻き込まれた人の「命を救う」ということが、このドラマの主題となっている。
その救援活動と言う、自分の命を張った仕事に、使命感を持ち励んでいる主人公であり、そこには「人の死」より「人の生」つまり「命の貴さ」や「一人の命の重さ」というモノがちゃんとテーマとして描かれている。
そこが他の娯楽ドラマと根本的に違うと私は思う。
もちろん受け取り方は人それぞれで、くだらないとみる人も多いだろう・・・
私だって、当時リアルタイムら見ていたら、くだらないと思っただろう。
しかし、私は最近特に思うのだが、物事はそれを「発する側の責任」より、「受け取る側の責任」つまり「受け取り方」の違いで、その価値は180度変わってしまう。
私自身も現代の世の中は間違っていると思うし、否定的なところもある。
しかし、ただ否定してしまうだけだと、自分を成長させる「糧」とはならない。
「反面教師」と言う言葉もあるように、例え見本となる者が悪い見本であっても、そこから自分の受け取り方次第で「学ぶべきもの」はいくらでもある。
そう考えた時、この救命活動に命を捧げる主人公ではあるが、しかし結構単純でおバカなところもある。
彼女も最初はそう受け取るが、しかし自分の受け取り方を変えた時。「人の欠点」は「人の長所」に変わる。
この「海猿・3」では、その彼女と結婚して3回目の結婚記念日に、主人公は現場で大変なのだが、しかし彼女が家に帰ると随分と凝った仕掛けを創り、彼女を笑わせる・・・・
そんなおバカな主人公なのだが、そのおバカ具合に彼女は惚れている。
このシリーズ、この彼女の存在もとても意味があり、救命活動に打ち込む主人公ではあるが、しかしその分実はナイーブな面が有り、落ち込みやすい。
そんな彼を、最初は自分も戸惑うが、結局「支える」パートナーとなる。
そんなところを私はこのドラマを見ながら、とても「学ぶべきもの」として、そして本来人間として一番大事な「精神面」を感じ取ったので、「霊的レベル」が高いと思った。
で、結局この「海猿・3」を見た後に、また「海猿・4」を見て・・・・
さらに昨日は「海猿・1」から「海猿・テレビドラマ」そして「海猿・2」へ・・・・
さらにさらに「海猿・3」と「海猿・4」まで、2回もとおしてみてしまった。
結果、お奨めは「海猿・2」と「海猿・4」であった。
(資)文化財復元センター おおくま
海猿・2
海猿・4
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