私は流行りものには興味がない。
いゃ、それどころか、普段テレビのドラマも見ないし、映画にもいかない。
一言でいえば、他人と同じことをすることを好まない。
普段、読書もしないが、物事にはよく疑問を抱く。
世の中、間違っていると常に思う。
他人の考えや一般的な常識としての価値基準と、私が自問自答して返ってきた答えとは随分違う。
そんな私が2年ほど前から、ずいぶんと試練を受けていると感じ、その答えを探すために「精神世界」の本を読みだした。
普段本を読まない私は、この2年間で一生分の本を読んでいるとさえ思う。
いろいろと「目に見えない世界」のこと、神の事、霊の事、精神について学んだが、その書かれている答えは、ずいぶんと一般的な価値基準から外れている。
どうも、人間の常識が通じないのがこの世界の様である。
私は自分で言うのもなんだが、努力家で人一倍学習機能も働くらしい・・・・
この仕事も前例のないところから、試行錯誤でここまで築き上げた。
そんな私がなぜ試練を与えられたのか?
それを知りたいと、また努力する・・・・・
結局はこういう自分で努力することは、霊なのか、神なのかは実は好まないようである。
いろいろ読んでいて気付くのは「ありのまま」「無心」で「天にゆだねる」ことが、結果として神の加護が得られるようである。
それは何となく解ったが、性分が努力家だから、何もせずに「任せる」いゃ「ゆだねる」だけでは時間がつぶせない。
そこで最近YouTubeで、テレビドラマや邦画の類をよく見る。
「大地の子」や「遥かなる絆」などからも、ずいぶんと学ぶものが多い。
それとは別に恋愛もののテレビドラマのシリーズなども、いくつか見た。
そんななかで、今回の「海猿」のシリーズほど、学ぶものが多いのは初めてである。
見方によれば、潜水士の恋愛ものだが、実はそこにはずいぶんと我々が考えなければならない問題を含んでいる。
今の世の中、自分の命を張るような仕事は少ないし、自分の損得で仕事を選ぶ。
しかしこの主人公たちは、自分の損得ではなく、「人の命を救う」と言う「使命感」を持っている。
しかも一つ間違えば、自分の命を落とす。
このドラマは娯楽番組と言うより、普段テレビや映画で見ることの少ない「霊的レベル」が極端に高いと感じた。
つまり他人の命を助けるために、自らの危険をもかえりみない・・・
果たして、我々はそこまで自分を犠牲にして、世のため、人のために尽くせるだろうか?
また、そんな使命感を持つ彼らをプライベートで支えるパートナーにしても、自分一人の幸せしか考えられない現代人にとつて、滅私奉公できるだろうか・・・
神は自我が強く、自覚を持たない「自分は正しい」と思うものを、一番嫌うらしい・・・・・
実は私がそのタイプであるから、試練を与えられた。
ただ、私は自覚がある。
自分のことより人の事を優先し合うことを、神は求めているようであり、あのドラマもよく奇跡的な救出劇が描かれているが、作り話と捉えるより、神はそういう人たちには「奇跡」を起こす。
このシリーズ、アップされているものはすべて見たが「海猿・3」が見れなかったことが残念であるが、私はこのドラマから多くを学んだ。
(資)文化財復元センター おおくま
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