久しぶりにYouTubeで。見ごたえのあるドラマを見た。
このドラマ、2003年の秋にテレビ朝日で二日にわたり放送されたものらしい。
すでに12年前の話だという。
当時私は見た覚えがない。
しかし、このドラマの主人公の話は他のメディアで聞いたことがある。
実在の人物を主人公に、しかも日本と中国の両国の友好の橋渡しとなる夫婦であり、このドラマの中国側の協力を仰ぐ必要もあり、必ずして史実に忠実に描かれていないことは、Wikipediaを見ればわかる。
ただ、どちらにしろ私は思うのだが、中国政府は南京事件を誇張し、逆に日本人は「南京事件はなかった」と主張することもその要因だと思うが、私は離婚していて、次の人生のパートナーを得るために、出会い系で多くの人と知り合った。
その結果として言えるのは男も女も離婚の責任は相手にあるという。
まさにそれと同じことが、中国と日本、あるいは韓国と日本にも言えると思う。
つまり、私が出会い系で多くの人から学んだことは、「決して責任はどちらか一方にあるものではない」つまり、互いに責任があり、そして真の原因は「利己主義」で、「相手を思う気持ち」に欠けていたから、問題が起きた。
またよく言う話だが、「常識」という言葉を人々は過信していて、自分はちゃんと常識を弁えていると大多数の人は誤解している。
そう、それは誤解でしかなく、「自分にとっての常識」でしかなく、その常識は立場が違えば「正反対」であったりする。
つまり、人は「自分の立場」でしか物事を理解できない人が大半だということに、みんなもっと気が付くべきだと思う。
「人生のパートナー」との関係も、また「国と国との関係」も全く同じで、自分の主張を相手に認めてもらいたいと思えば、自分も相手の主張を認めないといけないし、どちらが悪くて、どちらが正しいと一概に言える問題ではなく、それは「単に違う」ということだけだったりする。
そんな自分と他との関係は、相手の意見を聞くことから始まる。
決して相手を非難すればそれで済むことではなく、「自分半分」「相手半分」だということを胆に命ずるべきだと私は思う。
ただ、私は思うのだが、「持ち合わせている常識」は万人皆違うし、また立場の違いは常識の違いを意味するが、しかしながら「良心」や「真心」というものに関しては、決して民族の違いや、思想の違いは存在しないものだと信じている。
話がそれてしまったが、このドラマの制作にあたってもシンクロニシティがあったらしく、主演の常盤貴子の演じる浩の次女にあたる嫮生の息子と、同級生であったらしいし、また常盤貴子がこの主人公の本を読み返すために、友人から本を受け取った翌日に、ドラマの企画を貰ったという。
まさに常盤貴子がこのドラマの主人公を演じることが、彼女の生まれる前から決まっていたことを意味する。
実はそのシンクロニシティなのだが、このドラマを見るきっかけとして私にも起きていた。
実は出会い系で知り合った中国美女のおじいちゃんが、南京事件の死体の後始末をしたとされる「世界紅卍字会」の創設者であり、彼女は中国では身内に問題を起こしたものがいると、3代にわたり差別されるという。
そのおじいちゃんは、若いころに日本に留学しており、中国の資産家であり、弁護士会の代表でもあった知識人で、有名な別荘を持っていたが、国民党の蒋介石にその別荘を取り上げられたらしいが、その彼女の一族はいまだに結束が固いらしい。
またその「世界紅卍字会」と関係が深かった日本の「大本」の「出口王仁三郎」が中国に渡った時期があるのだが、その関係者は当時の満州政府の要人が多く、また彼らは「世界紅卍字会」のメンバーだったという。
また「世界紅卍字会」は関東大震災の時に真っ先に日本に駆けつけ、銀と米を大量に支援したという。
そんな血を引く彼女に久しぶりにメールを入れたいと思ったのが、昨日の朝であり、このドラマは夕方に見つけた。
まさに「シンクロニシティ」つまり「意味のある偶然」を私も経験した。
(資)文化財復元センター おおくま
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