この本は今朝の「エニアグラム」の中の「9つの性格」と同一の著者である。
実はエハン塾で、エニアグラムをエハン・デラヴィ氏が紹介するときに、日本で始めたそれを紹介した人として彼女の名前を挙げていた。
確かその時、シスターだと言っていたように思う。
で、その本を注文した時に、同時に彼女の数冊の著書の中にこの本はあった。
そして最初に気になるエニアグラムについて書かれた、最初の本を読んだ。
彼女は東大の大学院を出て、フランス、イタリアに留学した才女の様である。
彼女はシスターという事で、エニアグラムに関する本を翻訳したことで、それから自分でも何冊もその手の本を出されたのだと思う。
ただ・・・
そのエニアグラムの本は、男言葉で「○○だ」「だろうか?」「している」と言う口調なもので、正直「本当にシスターなのかな?」と思ってしまった。
しかもその本は企業のセミナーなどで彼女が教えていると言う。
なんか聖職に在るものが??と思って、少しがっかりしたのだが、しかしこちらの本はまるで別人が書いたようにさえ思える。
まさにキリスト教のシスターと言う立場の人が、死を前にした人々と接して、その人が残した言葉をいくつも集めたものだが、最初にこの本を注文した時は「死にゆく者」と言うから、病院のベッドの中で今にも死のうとしたときの「臨死体験」でも集めたものかと思っていた。
しかし、読み始めると、久しぶりに何度も何度も涙が止まらなくなった。
それは1年ほど前に、高橋信次の書いた小説「愛は憎しみを超えて」と言う本を、最初に読んだ時の気持ちに近い。
あの時も主人公の母親と主人公の少年時代の苦労を、涙なしではとても読み進められなかった。
そんな経験をして、私の心が洗われたのか?それから気持ちの安らぎを得られるようになり、慢性の胃潰瘍は完全に消えた・・・
今回、この本の最初の部分には、人は死がまじかにら迫ると「仲よし時間」と呼ばれる、一時急に元気になり、そして自分の人生で「やり残したこと」、または「和解したい人」のことを思い出すと言う。
それは燃え尽きる前のろうそくに似て、一瞬炎が大きくなり、最後の輝きを放つと言う。
彼女は自分自身も一度臨死体験をしているらしく、またシスターと言う立場上、多くの人の死に立ち会った。
それを集めたものだが、特に前半は津軽に住む「大原紫苑」と言う女性を中心に、その人の体験を綴っている。
その紫苑さんは自分の夫を看取った後、ボランティアとして近くの老人ホームの後援会の代表をしたり、人生に疲れた人々を自宅に泊め、おいしい手料理を食べさせ、そして心を開かせて当人の話を聞く・・・・
そんな活動を長年やっている人らしいが、その人の体験した話の一つに、その老人ホームはカトリック系の老人ホームらしく、著者もそんな関係で頻繁に出向いていたらしいが、その老人ホームや地域の施設に多額の寄付をしてきた「今井先生」と皆から慕われる、地元の会社の社長がおられた。
彼はとてもできた人物で、自分の会社の従業員で仕事中に事故にあい、片腕をなくした青年をその老人ホームの仕事に世話した後も、その青年をずっと陰から見守られていたらしい・・・・
彼は地元でも有名な人らしいが、子供の頃に貧しい子だくさんの農家に生まれ、独力で会社を作りがむしゃらに働いてきた人らしい・・・
その人が病院のベットの中でその紫苑さんに「私はがむしゃらに働きぬいてきた」「紫苑さん、私はもっと楽しみたかった」と呟いた。
まさに、自分がやり残して悔いが残る気持ちを整理しているわけである。
そして急に泣きじゃくり始めた・・・
紫苑さんはその今井先生の肩に手を回し、安心させるのだが、すると彼は「かあさん」と呼んだ。
紫苑さんは「はーい」と返事を返すと、ゆっくりと彼を寝かせた・・・・
さらにかれはまた「かぁさん」と唇が小さく動いた。
すると紫苑さんは「かぁさんは待っていますよ。これからずっと一緒ですよ」と、心を込めて答えた。
そして
透き通った声で
かあさんはよなべをして
手袋編んでくれた
木枯らしふいちゃ冷たかろうて
せっせと編んだたよ
と、歌い始めた。
どうもこの歌はこの地方をうたったものらしい・・・
すると、その病室に居た奥さんも家族も、そして部屋の外で待機していた彼の会社の関係者や、病院の医者と看護婦まで一緒に合唱し始めたと言う。
紫苑さんと著者はそれを聞きながら病院を後にした。
彼はその歌を聞きながら、天国に旅立った・・・・
こんな感じで、人は死をまじかにすると、人生の整理をし、心安らかに死への旅路へと旅立つ。と言う話がぎっしり詰まっていて、何度も読んでいて涙してしまった。
(資)文化財復元センター おおくま
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