②-思い (我思う故に我あり)

「意識」について思うこと-3

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精神世界を旅すると、いろんなことを学ぶんだけど・・・

例えば「神社」で、一生懸命「願い事」を神様に頼むよね??

で、「思い」を神様に聞いてほしいから、思いっきり「」を入れて頼めば、いゃ「お賽銭」をはずめば聞いてくれるのでは??

と、一般的に言われているんだけど・・・

どうも「神様」は「重い」「思い」は、嫌いらしい・・・いゃホンマ

少し話しは変わるが・・・・

神様って「意識体」ではあるが、「肉体」っうか「目に見える形」を持たない存在なんよ。

で、その宇宙の創造主が何歳なのかは知らないけど・・・

宇宙が誕生して、少なくても何億年も経つとしたら・・・

我々の住む地球よりはるか以前に誕生した「」がいっぱいあり、それらにも「知的生命体」は存在しているわけで・・・

それらは我々地球人より「はるかに」進歩しているはず。

つまり、我々のような「3次元」ではなく、もっともっと「高次元」の存在だということになるよね・・・

彼らにも「」は存在するけど、人間のような「重たい体」ではなく、どんどん「軽い肉体」を持っていて、最終的には神様みたいな「意識体」に進化するらしい・・・

つまり「高次元」になるほど「軽い」存在らしく、我々が神様にお願いする「重い・思い」って実は聞き入れてもらえないらしい・・・

だから・・・・

どうも神様って、「自我」の「都合のいい願い事」を叶えるのではなく、「神様」から見た「理想の人生」を送らせようと「企む」性格なんよ・・・オイオイ

だから、ホントのことを言うと・・・

神社で「願い事」をお願いしても、効き目は薄く、自分の我をはった願いより、「無心」になって「神様にお任せします!!」と言うと・・・

ヨッシャ、任せておけ!!」となるらしい・・・いゃホンマの話・・

くまさん

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