私はシスター鈴木秀子の文章にも何度も涙したのだが、この著者のキャロライン・メイスの文章も、今回のモノは特に胸に滲みるものが多い。
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昔、とても年老いた男がいました。
目はかすみ、耳は遠く、膝は震え、テーブルにつけばスプーンをもつのもむずかしく、テーブルクロスにスープをこぼしたり、口からしてだらだらたらしたりしていました。
息子とその妻はうんざりし、ついにその老人をストーブの裏側になる部屋の隅に座らせ、陶器のボウルに少しだけ食べ物を入れて与えるようになりました。
老人はいつも目を涙でいっぱいにして、テーブルのほうを見ていました。
ある時、老人は震える手のせいでボウルを落し、割ってしまいました。
嫁に叱られた老人は何も言わず、ただため息をつくだけでした。
それから、息子夫婦は安物の木のボウルを買い、それで老人に食事を与えるようになりました。
家族がくつろいでいた時の事です。
四歳になる孫息子が床に落ちていた木片を集め始めました。
「なにしているんだい?」父親が訪ねると、その子はこう答えたのです。
「小さな餌入れを作っているんだよ。 僕が大きくなったとき、父さんと母さんがご飯の時に使えるように」
息子とその妻はしばらく見つめ合い、やがて泣き始めました。
そして、夫婦は老人をテーブルに着かせ、その日からいつも老人と一緒に食事をするだけでなく、少々食べ物をこぼしても何も言わなくなったのです。
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私はこれを読んだとき、思わず涙がこみ上げてきた。
いゃ、感動の涙ではなく、自分自身の懺悔の涙である。
私の母は、若いころに少し霊感があったらしい・・・
また、別れた私の父親の親戚が、昔から富士宮の浅間神社の近くで有名なそば屋をやっている。
その亡くなった主人も霊感があったらしく、本職ではないがそば屋の上で「神さま」をしていたらしい。
しかし、母親は歳を取り、少し気がおかしくなったことがある。
よくある話で「地震が来るから早く逃げろ」と騒ぐのだが、何も起きなかった。
頻繁にそんなことがあり、結局病院に入院させた。
退院後も、いろいろとおかしなことを言う癖は直らず、私の別れた女房はきれいで思いやりがあり、優しく誰からも好かれるタイプなのだが、私の母親が時々長電話を掛けてきた。
私にすればまた訳のわからない話をしていると、私は電話に出なかったのだが、優しい女房は忙しい時でも何十分でもそんな母親の話し相手になっていた。
そんな事もあり、私は母親をあまりよく思っていなかったし、葬式の後も一度も墓参りをしなかった。
それがここ2~3年、私の考え方もずいぶん変わった。
特に高橋信次の本には、「霊の先祖」と「肉体の先祖」の話が出てくるが、肉体の先祖に対する「恩」を大事にしないといけないと書かれている。
その話にも、私は後悔の涙を流したが、この話を読んだとき、またその気持ちが湧きあがってきて、涙がこぼれた。
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現実をどう認識するかは、その人の信念とそれまでの経緯によって左右される。
世の中における自分の居場所をどのように考えているだろうか。
他者は本質的に善だと考えているだろうか。
楽観論者か、それとも悲観論者だろうか。
奇跡は本当に起こるのだろうか。
人はこの世で独りぼっちだろうか。
人に尽くすことに対する考え方は、こう言った質問にどう答えるのか。
何を人生の目標にしているのかによって、大きく変わってくる。
——– 中 略 ————
こういう考えは人間一人ひとりの神学、あるいは現実に対する考え方であり、第6チャクラのハードウェアのかなりの部分をかたちづくっている。
また、この精神的なエネルギーは宇宙を手助けして、シンクロニシティが起こす出来事を人のまわりで軌道に乗せることもしている。
シンクロニシティの瞬間には、いくつもの出来事が偶然に起こり、困っている人を救う。
人生は神のパラドックスによって支配されている。
つまり、宇宙は感情を交えない機械的、数学的なオペレーティング・システムであるのに、人間一人ひとりを親密に導いているのだ。
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私は自問自答をして、「内なる神」から多くの答えを得ているのだが、数年前に「神とは何ぞや??」と、問うたのだが、ずいぶんして「宇宙の運行プログラムのようなもの」と言う答えが返った。
ニューエイジと言うのか、その手の人々の考え方と近いのだが、しかし私が得た答えから言うと、神に人格と言うのか、神格と言うのか??は無いことになる。
ちょっと足りないような答えだと思っていたのだが、しかしキャロライン・メイスは「宇宙は感情を交えない機械的、数学的なオペレーティング・システムである」とはっきり言っている。
しかしながら、人一人一人とは親密に繋がっていると言う。
ある読者からのメールに
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要するに最高の瞬間とは、不快さと惨めさと不満を大いに感じている時に起こるものらしい。
なぜなら、人が決まりきった生活から抜け出して、別の道や本当の答えを探し始めるのは、不快さによってつき動かされている、そんな瞬間だけだから。
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(資)文化財復元センター おおくま
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