この本にはずいぶんと良いことが書かれている。
まさに人生のバイブルだろう・・・
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良い思いや行いはけっして悪い結果を発生させませんし、悪い思いや行いはけっして良い結果を発生させません。
これはトウモロコシからはトウモロコシ以外のものはけっして成長しないこと、あるいはイラクサからはイラクサ以外のものはけっして成長しないことと同じくらい明らかなことです。
この法則が自然界のなかで機能していることは、誰でも知っています。
でも、それが個人の人生のなかでもまったく同じように機能しているという事実を認識している人は、とても少数です。
そしてそのために、ほとんどの人たちは、それと協調して生きていません。
苦悩は、つねに何らかの方面の誤った思いの結果です。
苦悩は、それを体験している個人が、自分を存在させている法則との調和に失敗していることの、明確なサインです。
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私自身、高橋信次の本を読み、不安が少し消えて、慢性胃潰瘍が消えた・・・
自分の行いを正さない限り、人は最終的に不安の元が消えないことを、身をもって体験した。
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この宇宙を動かしているのは、混乱ではなく秩序です。
その一部である私たちの人生や社会を根底で支配しているのも同じ秩序であり、それは、不正義や不公平さではなく、正義と公平さの上に成り立っているのです。
人間は、自分自身を正すことによって、はじめて宇宙の正義と公平さを知ることができます。
その過程で人間は、周囲の人たちや状況に対する自分自身の姿勢を改めると、自分に対するそれらの姿勢もまた、速やかに改まるものであることを、身をもって知ることになります。
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この話は、最近のニューソート系や津留晃一氏の話によく出ているのだが、自分が相手をどう思っているかは、例え口や態度に出さなくても、それは念波となって、相手に届くらしい。
だから、全ては自分の責任であり、自分が思考を変えれば、自分を取り巻く世界が変わるという話になってくる。
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どんなに弱い人間も、自分自身の弱さを知り、「強さは持続的な鍛錬によってのみ開発される」という真実を信じたときから、奮闘・努力を開始します。
そして、努力に努力を重ね、忍耐に忍耐を重ねることで、やがてはすばらしく強い人間へと成長することになります。
虚弱な肉体をもつ人間が、それを忍耐強くトレーニングによって強化できるように、虚弱な心をもつ人間も、それを、正しく力強い思いを意識的にめぐらしつづけることによって強化できるのです。
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結局は自分の人生の責任は自分にあるということに尽きる。
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私たちの達成に成功すること、また失敗することのすべてが、私たち自身がめぐらす思いの直接的な結果です。
公正な秩序が保たれているこの宇宙内では、いかなる調和の欠如も破壊につながります。
よって、そのなかで果たすべき個人の責任はとても重大です。
私たちのもつ強さも、弱さも、清らかさも、けがれも、ほかの誰のものでもなく、私たちじしんのものです。
それらは、ほかの誰によってでもなく、私たち自身によってのみ育まれます。
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この本は1902年に書かれたもので、アダムスキーが宇宙人と遭遇したのが1952年だという。
つまり、アダムスキーが宇宙人から教わった宇宙哲学より、50年も早く「宇宙の秩序」を著者は知っていたことになるが、当然人類は宇宙に行くのはずっと後である。
著者の知人は、彼が丘に立ち、宇宙と交信していたと言っているらしい・・・
最近はやりのチャネラーよりも、ずっとずっと以前の話であるから、明らかに彼も「宇宙の創造主」の下で働く聖者の一人だったといえる。
HRRY山科氏は、特に震災以後日本の上空には多くの葉巻型の母船が、日本を監視しているらしい・・・
宇宙の秩序を我々我欲に駆られた人類が、地球を破滅に追い込みつつあり、破滅すれば人類がどうなろうと、宇宙の秩序を乱すことになるので、それを監視しているらしい。
また著者はこの続きとして
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また、強い人間が弱い人間を助けることができるのは、弱い人間が意欲的に助けを求めているときだけです。
そして、たとえそのときでさえ、弱い人間は自分自身が強くならなければなりません。
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このことは私自身、嫌と言うほど味わっている。
世の中に「小さな親切」という言葉がある。
一方で「大きなお世話」という言葉もある。
両極端であるが、果たしてこの違いは何だろう??
中身は同じでも、「受け取り方」が違うと、その価値は逆に取られてしまう。
違うのは「受け手」の意識なのである。
相手にそれを受け入れる気があれば、「小さな親切」でも、その気がなければ「大きなお世話」と化してしまう。
でも、大きなお世話と思う人は、しかしそれが自分の受け取り方の問題だとは、誰も知らない・・・
すべては、自分の人生は自分の「思い」が創り上げているという、この著者の話は、解るものにしか解らない話なのが、悲しい・・・
(資)文化財復元センター おおくま
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